嗚呼!!花の応援団
生き地獄のような大学応援団の生態をギャグ化した、
もっとも下品にして哀切ただよう漫画。

1970年代の漫画アクションは、「嗚呼!!花の応援団(75年)」「博多っ子純情(長
谷川法世・76年)」「じゃりン子チエ(はるき悦巳・78年)」など、地域性の強い、
あるいは土着的なアクの強い漫画のヒットを飛ばした。
江戸の頃、大坂は枚方のあたりに客を乗せた三十石船がさしかかると、くらわんか船
なるものが漕ぎ寄せて来て、喧嘩腰で酒や餅を売りつけたといわれる。
「われ起きんかい!酒喰らわんか、餅喰らわんか」
「金がなくて喰らわれんのかい?」
くらわんか船は河内のあたりからやってきたらしい。
こうした暴言、悪口雑言はなにも喧嘩を売っているのではなく、河内ではごく普通の
言葉遣いだったともいわれる。
「嗚呼!!花の応援団」の舞台は南河内大学というから、その地域性からいっても決
して上品ではない。暴力、性欲の表現も直截的で、放送禁止もしくは自主規制の対象
となるべき言葉が頻出するが、「方言だから許される」とばかりに遠慮会釈がない。傍若無人とすらいえる。
主人公は応援団の親衛隊長・三回生の青田赤道で、性と暴力の欲望にきわめて忠実な、
ある種のスーパーマンである。欲望を満たしたあとは「ちょんわちょんわ」「クエッ、
クエッ、クエッ」などと意味不明の雄叫びと下品なダンスで喜びを表現したりする。
そして、それを目撃した団のOBである剛田先輩が、目を点にして「団のめんぼく丸つ
ぶれ」と嘆いて落ちることが多い。
「目が点になる」という漫画表現は、この「嗚呼!!花の応援団」の作者どおくまん
が最初にやったのではないかと思う。
可哀相なのは「奴隷」である一回生たちで、硬派をめざして入団したのだろうが、先
輩たちの実体は軟派そのもので、行動に規範も自主規制もない。
大阪らしく、欲望と利に走るのである。
「嗚呼!!花の応援団」 どおくまん
1975年- 双葉社「週刊漫画アクション」連載
もっとも下品にして哀切ただよう漫画。
1970年代の漫画アクションは、「嗚呼!!花の応援団(75年)」「博多っ子純情(長
谷川法世・76年)」「じゃりン子チエ(はるき悦巳・78年)」など、地域性の強い、
あるいは土着的なアクの強い漫画のヒットを飛ばした。
江戸の頃、大坂は枚方のあたりに客を乗せた三十石船がさしかかると、くらわんか船
なるものが漕ぎ寄せて来て、喧嘩腰で酒や餅を売りつけたといわれる。
「われ起きんかい!酒喰らわんか、餅喰らわんか」
「金がなくて喰らわれんのかい?」
くらわんか船は河内のあたりからやってきたらしい。
こうした暴言、悪口雑言はなにも喧嘩を売っているのではなく、河内ではごく普通の
言葉遣いだったともいわれる。
「嗚呼!!花の応援団」の舞台は南河内大学というから、その地域性からいっても決
して上品ではない。暴力、性欲の表現も直截的で、放送禁止もしくは自主規制の対象
となるべき言葉が頻出するが、「方言だから許される」とばかりに遠慮会釈がない。傍若無人とすらいえる。
主人公は応援団の親衛隊長・三回生の青田赤道で、性と暴力の欲望にきわめて忠実な、
ある種のスーパーマンである。欲望を満たしたあとは「ちょんわちょんわ」「クエッ、
クエッ、クエッ」などと意味不明の雄叫びと下品なダンスで喜びを表現したりする。
そして、それを目撃した団のOBである剛田先輩が、目を点にして「団のめんぼく丸つ
ぶれ」と嘆いて落ちることが多い。
「目が点になる」という漫画表現は、この「嗚呼!!花の応援団」の作者どおくまん
が最初にやったのではないかと思う。
可哀相なのは「奴隷」である一回生たちで、硬派をめざして入団したのだろうが、先
輩たちの実体は軟派そのもので、行動に規範も自主規制もない。
大阪らしく、欲望と利に走るのである。
「嗚呼!!花の応援団」 どおくまん
1975年- 双葉社「週刊漫画アクション」連載
巨人の星
男がいったん言わんと決めたら、
口が裂けても言わん。

業田良家の「自虐の詩」が映画化され、例のちゃぶ台をひっくり返すシーンに注目が集まっているが、気に入らないことがあるとすぐにちゃぶ台をぶちまける男の元祖は、やはり星飛雄馬の父一徹だろう。
「男がいったん言わんと決めたら、口が裂けても言わん」
一徹は劇画「巨人の星」作中で数々の名せりふを吐いた。
そのなかで僕がもっとも気に入ったのがこれである。
この哲学的せりふには何の論理性もない。
状況が変われば、ふつうは何事かをしゃべってもいいはずである。
そのほうが周囲のためにもなるし、人間関係がうまくいく場合だってある。
だが、理屈無き頑固さこそ、一徹オヤジの骨子である。
武士に二言はない、ということだろうが、果たして一徹は武士なのかという問題もある。
一徹は日雇いの労働者であり、どこにも仕官していない。
家族に貧乏を強いなければなければならない。威張っている場合でもないのである。
なるほど物語が進むなかで、中日ドラゴンズのコーチに就任したりするが、人生の大半を肉体労働者として過ごす。武士であるなら浪人者というところだろう。
しかし、一徹は息子飛雄馬に「野球人としての血」を命懸けで伝えようとする。
子孫を残し、血統を繋ぐことこそ武士の本懐であるならば、一徹は紛れもない武士なのである。
貧乏だが、オヤジは強く、ストイックで、どこか温かいのである。
あなたは息子に何かを与えたか?
あなたはオヤジから何かを与えられたか?
この漫画はそう問うているような気もする。
「巨人の星」 梶原一騎原作 川崎のぼる画
1966年-1971年 講談社「週刊少年マガジン」連載
口が裂けても言わん。
業田良家の「自虐の詩」が映画化され、例のちゃぶ台をひっくり返すシーンに注目が集まっているが、気に入らないことがあるとすぐにちゃぶ台をぶちまける男の元祖は、やはり星飛雄馬の父一徹だろう。
「男がいったん言わんと決めたら、口が裂けても言わん」
一徹は劇画「巨人の星」作中で数々の名せりふを吐いた。
そのなかで僕がもっとも気に入ったのがこれである。
この哲学的せりふには何の論理性もない。
状況が変われば、ふつうは何事かをしゃべってもいいはずである。
そのほうが周囲のためにもなるし、人間関係がうまくいく場合だってある。
だが、理屈無き頑固さこそ、一徹オヤジの骨子である。
武士に二言はない、ということだろうが、果たして一徹は武士なのかという問題もある。
一徹は日雇いの労働者であり、どこにも仕官していない。
家族に貧乏を強いなければなければならない。威張っている場合でもないのである。
なるほど物語が進むなかで、中日ドラゴンズのコーチに就任したりするが、人生の大半を肉体労働者として過ごす。武士であるなら浪人者というところだろう。
しかし、一徹は息子飛雄馬に「野球人としての血」を命懸けで伝えようとする。
子孫を残し、血統を繋ぐことこそ武士の本懐であるならば、一徹は紛れもない武士なのである。
貧乏だが、オヤジは強く、ストイックで、どこか温かいのである。
あなたは息子に何かを与えたか?
あなたはオヤジから何かを与えられたか?
この漫画はそう問うているような気もする。
「巨人の星」 梶原一騎原作 川崎のぼる画
1966年-1971年 講談社「週刊少年マガジン」連載
サバイバル
ネズミや熊と闘い、自然と屠り合う。
少年のマニアックなサバイバル生活。

「人間は自然のなかの一本の弱い葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である」
パスカルは著書「パンセ」のなかにこう記している。
人間は考える葦である。
人間はちっぽけな存在だったが、考えることによって自然を支配し、文明を築いた。
法律や金融の知識を身につけ、勝ち組となることが文明(資本主義)のなかでのサバイバルらしいが、その文明が崩壊したあとは、また別種のサバイバルが始まるのかもしれない。
夏休みの洞窟探検中、サトル少年は、突如巨大地震に襲われた。
周囲が水没し、孤島化した地域でサトルのサバイバルが始まった。
魚を捕って生で食う。「ガチン漁」という、川の中の石を叩いて魚を気絶させる荒っぽい漁。
魚が捕れないときは、蛇でもミミズでも食ってタンパク質を摂取する。
恐れながら、戸惑いながらも罠を仕掛け、鳥や猪を殺して食う。
不用意に草を食って下痢に苦しむ。毒キノコに痺れ、嘔吐する。
ネズミに噛みつかれ、鼠咬症にかかって死の淵を彷徨う。
ただ食って生き抜くこと。
それが、自然のなかの一本の弱い葦にすぎない少年には死ぬほど厳しいことだった。
しかし少年は考え、知識を身につけ、住処を創り、強い葦に成長しながら生き抜く。
「サバイバル」 さいとう・たかを
1976-1978年 小学館「少年サンデー」連載
少年のマニアックなサバイバル生活。
「人間は自然のなかの一本の弱い葦にすぎない。 しかしそれは考える葦である」
パスカルは著書「パンセ」のなかにこう記している。
人間は考える葦である。
人間はちっぽけな存在だったが、考えることによって自然を支配し、文明を築いた。
法律や金融の知識を身につけ、勝ち組となることが文明(資本主義)のなかでのサバイバルらしいが、その文明が崩壊したあとは、また別種のサバイバルが始まるのかもしれない。
夏休みの洞窟探検中、サトル少年は、突如巨大地震に襲われた。
周囲が水没し、孤島化した地域でサトルのサバイバルが始まった。
魚を捕って生で食う。「ガチン漁」という、川の中の石を叩いて魚を気絶させる荒っぽい漁。
魚が捕れないときは、蛇でもミミズでも食ってタンパク質を摂取する。
恐れながら、戸惑いながらも罠を仕掛け、鳥や猪を殺して食う。
不用意に草を食って下痢に苦しむ。毒キノコに痺れ、嘔吐する。
ネズミに噛みつかれ、鼠咬症にかかって死の淵を彷徨う。
ただ食って生き抜くこと。
それが、自然のなかの一本の弱い葦にすぎない少年には死ぬほど厳しいことだった。
しかし少年は考え、知識を身につけ、住処を創り、強い葦に成長しながら生き抜く。
「サバイバル」 さいとう・たかを
1976-1978年 小学館「少年サンデー」連載

