スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「妖怪ハンター」諸星大二郎 

存在に関する不安、あるいは何者かへの畏れ。
人間の底に眠っている恐怖の根源を探る漫画。


妖怪ハンター(地の巻)

人間の意識の底には、何者かに対する畏怖の記憶が眠っているのかもしれない。
作家ラヴクラフトの創造したクトゥルー神話は、人類が誕生する以前から地球に存在していた旧支配者への信仰が基本となっている。
旧支配者である暗黒の神々はヨグ=ソトホートとかニャルラトホテプとか、呪文のようなわけのわからない名で呼ばれる。
その不気味な力は、いまも魔道書の中に伝わっていたり、あるいは古代文明にまつわる伝説として残っているのかもしれない。そして、時に悪夢や狂気として人間に働きかけたりするのかもしれない。

諸星大二郎「妖怪ハンター」には稗田礼二郎という伝奇の語り部が登場する。この名は「古事記」の編纂者とされる稗田阿礼のもじりだろうと思う。
稗田礼二郎は妖怪の実在を説いたために学会を追われた民俗学者で、各地で起こる得体の知れない事件に介入する。

殺人事件を契機に、比留子古墳に隠された謎を追う「黒い探究者」。
突如として唇が真っ赤に染まり、学校を死の恐怖に陥れた女子生徒に宿る魔力を題材とした「赤い唇」。
隠れキリシタンの里に秘められた世界創世の物語を探求する「生命の木」。
死者を甦らせる反魂の法で町に混乱を招く、異形の侵略者による干渉を描いた「死人帰り」など、不気味きわまりない話が綴られた短篇集。

稗田礼二郎は、この世に眠っている得体の知れない恐怖の根を探ろうとするが、その淵源は底なし沼のように深い。それぞれの物語が終わりを迎えることで、謎がさらに深まるのである。

「深淵を覗くとき、深淵もまたあなたを覗いているのだ」
ニーチェの言葉を思い出す。

「妖怪ハンター・地の巻」諸星大二郎 集英社文庫

「アシュラ」ジョージ秋山 

「生まれてこないほうがよかったのに」
阿修羅の道を生きるなかで、そう叫び続ける漫画。


アシュラ(上)

大岡昇平の「野火」という小説がある。
南方に残された戦争末期の旧日本軍の兵隊たちにとっては、戦闘よりも食い物が先だった。
各自食料を調達し、とにかく生きていくだけだった。
そうしたなか、主人公は人肉に手をつけようとする。
右手で人肉を食べようとしたが、左手がそれをとめた。
あいまいだが、そんな話だったと記憶している。

「アシュラ」の舞台は、平安朝の頃だろうと思う。
飢饉が続き、餓死者が続出していた。
そんな時代に子を妊んだ女がいた。
女は阿修羅と化していた。
ほとんど狂女のように屍肉あさって食った。あるいは殺して食った。
子を産むためと思われたが、しまいには産んだ子さえも食おうとした。

女から産まれたのが、主人公のアシュラである。
嵐の中、母親に食われることから逃れたアシュラは、ひとり畜生道を生きる。
アシュラは食い物を盗んで食う。
あるいは襲いかかってきた男の腕を斬って食う。
腹が減れば人を殺して食って生きた。

やがてアシュラは、若狭という娘と出会い、言葉を教わる。
初めて人の優しさにふれる。
アシュラを人間道へと導こうとする法師とも出会う。
畜生道を生き抜いてきたアシュラだが、人間らしさに目覚めはじめる。
ただ食って生きてきた獣は、突然、愛情の飢えに襲われた。
腹の飢えではなく、激しい愛の飢えのため、ふたたび人を殺す。

最後に母親の墓標のまえで、アシュラは自分を思う。
「生まれてこないほうがよかったのに」

強烈な内容だったため、発表当時、大騒ぎとなった。
あちこちで批判が起こり、有害図書にも指定された。
1970年、大阪万博の年、戦後25年。
飢えというものが、遠い記憶になっていたのかもしれない。

「アシュラ」 ジョージ秋山
1970-1971年 講談社「週刊少年マガジン」に連載

「洗礼」楳図かずお 

「悪いけど あなたには人生なんてないのよ」
乗っ取られたのは肉体か、あるいは精神か。


洗礼 (2)

肉体が老いるときのためにクローンを用意しておく、というSFのアイディアが現実のものとなりつつある。
そのクローンもひとりの人間であって、当然意志を持っているし、人権はどうなるのかといった問題も出てきてややこしい。
神をも冒涜する行為だと批判する人も多いが、人間の不老不死への願望は強い。
本能的といってもいいほどに強いので、悪魔の所業と蔑まれようが、やがてかなえてしまうのかもしれない。

楳図かずおの「洗礼」は、タイトルが意味深長である。
最後の大どんでん返しのあと、タイトルの意味が見えてくるような気がする。
どんでん返しのあとの不気味さこそ、この漫画から妖気のように放たれる真の怖ろしさ、人間の精神が持つ得体の知れない怖ろしさなのかもしれない。

女優の若草いずみは歳をとっていく自分に耐えられなくなった。
そこで村上医師との相談の上、子を産み育てることにした。
のちに脳移植という方法で、その子の若い肉体を奪うために。
若草いずみは、女の子を産み、世間から消えた。

「悪いけど あなたには人生なんてないのよ」
女の子は「さくら」と名づけられ成長したが、村上医師によって脳を抜かれ、母・若草いずみの脳を移植される。
「さくら」の肉体を得た「いずみ」は学校に通う。
担任の男性教師に恋をし、女としての幸せを得るために教師の家に乗り込む。
悪質な嫌がらせを繰り返して教師の妻を追い出そうとする。
しかし、十分に若いはずの「さくら」の肉体に奇妙な痣がでる。歳をとった若草いずみと同じような痣が。
恐怖に狂った「いずみ」は、こんどは教師の妻の脳を抜いて自分の脳を移植しようと考え、村上医師を探す。

が、村上医師は死んでいた。しかも、若村いずみの脳が娘の「さくら」に移植される前に、すでに死んでいたことがわかった。

奇妙すぎる話である。
母と娘の精神の結びつきが得体の知れない妖気を放っている。
娘に怨念の呪詛を込めるように永遠の思いを託す母、そして母の願望をかなえようとするかのような娘。シンクロナイズしたふたつの心がもたらした奇妙な話。
というような読み方もできるのではないかと思う。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。