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男おいどん 

押入に生えたキノコすら食ってしまうほどの貧乏を、
一度ぐらい体験した方がいい。


男おいどん (1)

貧乏がふえているらしい。
日本は格差社会とやらの進行で、多くの貧乏と、ごくごく少数の金持ちとに別れていくという。
金は寂しがりやだから、たくさんあるところに集まるらしい。
貧乏な人はより貧しく、金持ちはもっと金持ちになっていく。
一億総中流意識のもとの、豊かな日本は昔の話となったようだ。

おいどんとは九州弁で「おい(俺)」と「どん(殿)」。
なんとなく「俺様」に近い語感があるのかもしれない。

大山昇太は九州から上京したが、勤めていた工場をクビになり、赤貧の暮らしをしている。
夜間高校もやめたので、暇だった。
住まいはむろん、四畳半である。
家賃も払えないが、それはそれでなんとでもなる時代だった。
いまのようにクレジットカードで機械的に家賃を徴収されるようなことはなかった。
押入にはなぜか64枚のパンツと猿股があるが、これがほぼ全財産といってもいい。

「男やもめに蛆がわく」

と諺にもあるように、黴びた四畳半の押入にはキノコなども生える。
しかし、食う物がなければ、これも大切な栄養源となる。

金も職もないが、おいどんは若者だから恋はする。
だけど、すべて失恋である。
若者は失恋をしなければならない。

70年代の初め、若者は貧乏風でなければカッコ悪い、親が金持ちでもわざと貧乏をする、
そういう、ある種のフォークソングのような世界観が一部にはあったと思う。
まだ戦後の貧乏の名残りが色濃くあって、この漫画のように人間同士の関係も濃く、温かい感じがあったような気がする。
そういう時代がまたやってくるのかもしれない。

ところで、「男やもめに蛆がわく」の上の句は「女やもめに花が咲き」だが、これはどういう意味なのだろうか。

女やもめに花が咲き、男やもめに蛆がわく。

「男おいどん」 松本零士
1971-1973年「週刊少年マガジン連載」

無能の人(つげ義春自選集) 

なんにもしないで生きるのが一番いい。
若い頃、重労働で苦労したし疲れたし。

つげ義春自選集(6)

自分は、ほんとうにこの社会に適合しているのか、いつか社会から放り出されてしまうのではないか、という不安は誰にでもある。いや、そういう不安がある人の心に響く漫画なのかもしれない。

たぶん、あらゆる経済活動には多少なりとも悪の要素がからんでくる。

「おれは とうとう石屋になってしまった」

ところが、河原で拾った石を河原で売るという行為はどうだろう。
そこには悪の要素も善の要素もなにもない。争いも嫉妬も、羨望もない。
そもそも経済活動といえるのかどうかもわからない。
自然の石は、すべてオリジナルであり、偶然によって生まれた唯一無二のカタチと色艶、味わいがある。
蘊蓄はいかようにでも創り出せる。
興味のない人なら聞きたくもない蘊蓄だが、世の中は広く、同じような感性で響きあう奇妙な人間たちがいた。

作者のつげ義春は、小学校を出てすぐに工場で過酷な労働を経験したという。
水木しげるのアシスタントを経て月刊誌「ガロ」に作品を発表。
のちに「つげ義春ワールド」と呼ばれる独特の世界を構築し、70年代の若者から熱い支持を得た。
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