木枯し紋次郎
あっしには、
関わりのねぇことでござんす。

「あっしには関わりのねぇことでござんす」
市川崑監督のテレビドラマ『木枯し紋次郎』で、紋次郎役の中村敦夫がつぶやいたこのセリフが70年代に流行った。
「関わりのねぇこと」言いながらも関わらずにはいられない、どうしても関わってしまう紋次郎の生き様が泣けてくる。
紋次郎は、上州新田郡三日月村の貧しい百姓の家に生まれ、十の歳に故郷を捨てる。その後、一家は離散したといわれる。「股旅もの」の常道で天涯孤独、無宿の渡世人である。
老い先短い母親のいる兄弟分の身代わりとなって紋次郎は流刑人となった。兄弟分は、母の最期を看取るまでと固く約束していた。
ゆえあって島抜けの仲間に加わるが、裏切り、仲間割れが起こり、ひとり紋次郎のみ娑婆へでることになる。そして娑婆で再会した兄弟分の態度をみて人間に絶望した。
紋次郎は、あてのない旅にでる。
どこへ行っても、世知辛い世の中である。旅の先々では、それぞれの人生を背負った人たちと出会う。手前勝手に欲望のままに生きる汚いやつらが弱い者をいたぶっている。
「関わりのねぇこと」とつぶやきながらも、激しく関わらざるをえない。
正統の剣術を身につけたわけではない。命を捨ててかかるような渡世人の喧嘩剣法。
くそったれた人間どもに怒りをぶつけるような、破れかぶれの闘い方だった。
死に場所を求めて彷徨うような旅だが、上條恒彦が歌った主題歌『だれかが風の中で』は、「どこかで誰かがきっと待っていてくれる……」という詞で始まる。
長楊枝をくわえて虚無主義をよそおいながらも、どこかでまだ人間に期待しているかのような紋次郎の哀しさを感じた。
「木枯し紋次郎」
劇画版 笹沢左保原作・小島剛夕画 リイド社
テレビドラマ 1972年- フジテレビ系 監督/市川崑・他 主演/中村敦夫
関わりのねぇことでござんす。

「あっしには関わりのねぇことでござんす」
市川崑監督のテレビドラマ『木枯し紋次郎』で、紋次郎役の中村敦夫がつぶやいたこのセリフが70年代に流行った。
「関わりのねぇこと」言いながらも関わらずにはいられない、どうしても関わってしまう紋次郎の生き様が泣けてくる。
紋次郎は、上州新田郡三日月村の貧しい百姓の家に生まれ、十の歳に故郷を捨てる。その後、一家は離散したといわれる。「股旅もの」の常道で天涯孤独、無宿の渡世人である。
老い先短い母親のいる兄弟分の身代わりとなって紋次郎は流刑人となった。兄弟分は、母の最期を看取るまでと固く約束していた。
ゆえあって島抜けの仲間に加わるが、裏切り、仲間割れが起こり、ひとり紋次郎のみ娑婆へでることになる。そして娑婆で再会した兄弟分の態度をみて人間に絶望した。
紋次郎は、あてのない旅にでる。
どこへ行っても、世知辛い世の中である。旅の先々では、それぞれの人生を背負った人たちと出会う。手前勝手に欲望のままに生きる汚いやつらが弱い者をいたぶっている。
「関わりのねぇこと」とつぶやきながらも、激しく関わらざるをえない。
正統の剣術を身につけたわけではない。命を捨ててかかるような渡世人の喧嘩剣法。
くそったれた人間どもに怒りをぶつけるような、破れかぶれの闘い方だった。
死に場所を求めて彷徨うような旅だが、上條恒彦が歌った主題歌『だれかが風の中で』は、「どこかで誰かがきっと待っていてくれる……」という詞で始まる。
長楊枝をくわえて虚無主義をよそおいながらも、どこかでまだ人間に期待しているかのような紋次郎の哀しさを感じた。
「木枯し紋次郎」
劇画版 笹沢左保原作・小島剛夕画 リイド社
テレビドラマ 1972年- フジテレビ系 監督/市川崑・他 主演/中村敦夫
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