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天地を喰らう 

三国志演義を剛胆に歪め、
気合いの入った「男のファンタジー」に仕立てた漫画。




僕は昔、「吉川三国志」を貪るように読んだので、漫画で三国志を読む気はなかった。
ところがこの漫画は、連載の冒頭から奇妙な雰囲気があり、三国志とは全く別物の「男のファンタジー」になっていたので、つい引き込まれてしまったような記憶がある。

この漫画の肝は、呑邪鬼にあると感じた。
一話ぐらいで消える鬼キャラクターだが、印象が深い。
主人公である劉備玄徳が、肝の据わった男になるための重要な役どころでもある。
ちなみに、劉備玄徳の劉が姓で、名は備。玄徳は字(あざな)である。自分で好きにつけていいらしい。
中国人の姓は一字が多いといわれるが、諸葛孔明の場合、諸葛という二字が姓、名は亮、字が孔明である。

で、玄徳と孔明は、数百年に一度、人間の若い男の精を奪いにくる天界の竜王の娘、嵐と麗に遭遇する。嵐と麗が竜の姿となって天に帰るとき、玄徳と孔明もこれに密かに掴まって天界へと行く。
天界にて、逆に嵐と麗の性を奪おうというのである。
二人は、竜王の娘たちの心と体を開かせ、竜王により、何を望むかと問われる。
孔明は知識を望み、森羅万象を記した書のあるという山へ向かう。
玄徳は呑邪鬼の肝を喰らいに行く。
玄徳の求めるものは、何者にも、どんな状況にも動じない太い肝っ玉だった。勇気といってもいいかもしれない。苦難を乗り越え、見事呑邪鬼の肝を喰えば、それが得られると竜王はいうのである。

呑邪鬼とは、漢代から宋代の小説をまとめた「太平廣記」にも出てくる尺郭の別名らしい。
尺郭は、南に棲む身の丈七尺の鬼で、朝に三千匹の悪鬼を喰らうといわれている。
玄徳は、繰り出される恐怖の幻影に耐え、餌として捕らえられていた数千の悪鬼たちの奮起を促し、ついに呑邪鬼の太い肝を喰らう。
喰らうことで、天下をも喰らえる男の肝っ玉を手にいれるのである。

俗に、「男は度胸、女は愛嬌」という。
媚び笑いの愛嬌はあっても、肝心の度胸のない男は多い。
度胸がないと結局は何もなしとげられない。
勇気あるいは度胸こそ、もっとも大切なものだと、ひしひしと思うのである。

「天地を喰らう」 本宮ひろ志 全7巻
1984年~ 集英社「週刊少年ジャンプ」連載
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低俗霊狩り 

低俗な霊を専門に扱う黒装束の女徐霊師。
現世の欲望を死後に残してはならない。


低俗霊狩り (上)

西洋には淫魔というものがいるらしい。
悪魔の一種である。
美男の姿で現れる時はインキュバス、美女の姿で現れる時はサキュバスと呼ばれるが、どちらも実体は同じで、醜い悪魔であるらしい。
淫魔は夢の中に現れて、人間に淫夢を見せ、精を吸い取り、堕落させるといわれる。
インキュバスの方は、女性を孕ませることもできるらしい。

奥瀬サキ「低俗霊狩り」の低俗霊とは、性的な欲望を持つ霊のことである。現世に未練を残して死んだ人間の霊が悪さをする。
女徐霊師の流香魔魅(りゅうかまみ)は、人の依頼を受けてこれらの低俗霊を狩るハンターである。

流香は黒装束の異能力者ではあるが、若い女なので、時に低俗霊や人間の男によって性的な餌食にされる。
訳の分からない依頼者に、いきなり一物を突き出されたりもするし、成り行きでビデオに出演させられたりもする。流香はたいてい無防備で、嫌がっているのか、恥ずかしがっているのか、感じているのか、いまいち掴みにくいキャラクターである。

電車の車両に取り憑いた少年霊の話、「ファントム・オブ・ザ・レールウェイ」が面白い。
虐められ、轢死した少年の霊に、人間のような知覚や意識はない。
あるのは思春期の強い性的欲求と、社会への恨みの残像、あるいは怨念のようなものだけである。

怨念は、乗客や機械に取り憑いて暴れ回る。
悪いことに、乗客の中に酔った関取がいた。関取は地獄のオーラのようなものを纏って流香に襲いかかってくる。
空手家の男女ふたりの高校生も闘いに加わって、猛スピードで走る電車の中で、でたらめなバトルが始まる。
車両の中に、突如レールが現れ、警笛が鳴り響き、別の電車が突っ込んでくる。
もう、訳の分からないシュルレアリスムの世界である。

生きているうちに、やれることはすべてやっていた方がいい。
未練を残して死ぬと、ずっと苦しいだけである。

「低俗霊狩り」奥瀬サキ
1986年~ 白泉社「コミコミ」連載

ゴーダ哲学堂 空気人形 

「悲しみをなくしたいのなら、心を持たなければいい。
 しかし、心を持たない人生なんてつまらない、面白くない」


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作者の業田良家は、若い頃、ニーチェに傾倒したともいわれるが、本質は仏教の徒であると思う。
ゴーダ哲学の底には仏教的な人生観、自然観が流れているような気がする。

 「おのれのあるがままの姿を愛しいと思え」
 「どんな人生だろうが、ただ感謝して生きればいいんだよ」

なんだか、禅宗の坊主に説法されているような気分になる。

釈尊が思ったように、人間には「生、老、病、死」の苦悩があって、この苦しみを超える存在になるために解脱をめざすのが本来の仏教であるという。
しかし解脱などは在家の衆生にできるものではない。
作者は煩悩を肯定するし、業を抱え込んだまま生きよと提案する。
筆名からして業田良家(ごうだらけ)なのである。

表題作の「空気人形」は、心を持ってしまったがゆえの悲哀を描いたもの。
純は、男の欲望処理だけのために作られた空気人形だった。
毎日、自分で体を膨らませて、アルバイトに行っている。
しかし、いつしか心を持ってしまう。
バイト先のF夫に優しくされることで、恋に落ちる。
恋に落ちたため、男の本性にふれ、とんでもない悲しみに襲われる。

 「悲しみをなくしたいのなら、心を持たなければいい。
 しかし、心を持たない人生なんてつまらない、面白くない。
 そう、生きていること自体が悲しいのです」

哲学をするというよりも、近くの寺の住職のところに遊びに行くような感じかもしれない。
しかし、悩みがなくても、悲しい話を聞かされ、悩まされる。泣かされる。
そんな感じの漫画短篇集。

●わたしを愛してください●ネガティブ・シンキング●情熱●空気人形●真実●怒り●フォークソング●人類の代表●私の花●損得ロボ●キャラクター子熊さん

「ゴーダ哲学堂 空気人形」業田良家 小学館

「悪女聖書」 

母親は結婚式場で首を吊り、息の絶えた体から業子は生まれた。
誕生と同時に「深い業」を背負わされた悪女の話。


【古本】悪女聖書 1~8巻セット kn

世界史に残るほどの悪女はたくさんいる。
たとえば漢の高祖の妃である呂公は、気に入らない家来を目の前で処刑させることに悦びを感じるような女だったらしい。
高祖の死後は、側室の手足を切断し、眼を抉り、耳を削ぎ、厠に閉じこめたりしたという。
呂公の場合、悪女というよりも悪質なサディストのような気がする。

あるいは、フィレンツェのメディチ家からフランス王家に嫁いだカトリーヌ・ド・メディチ。
魔術師や錬金術師などを身近においたといわれるオカルティックな女で、黒ミサのような淫靡な儀式を行っていたらしい。人を鞭でいたぶり、毒殺や暗殺を好んだという。
カトリーヌ・ド・メディチの場合、悪女というより魔女のような感じがする。

「悪女聖書」の業子(なりこ)は、権力者の妻や娘ではない。
悲しみを纏って生まれてきた女である。
母親は結婚式場で首を吊り、息の絶えた体から業子は生まれた。
誕生と同時に深い業を背負わされているのである。

業子は家を追われ、女工をやりながら、生きるために悪女になることを決意する。
はじめはぎこちない。悪女に徹することのできない悲しみがある。
が、業子は知恵者でエネルギーに満ちた女である。
いつの間にか大企業のOLとなり、なぜか華道の家元夫人におさまったりする。
渡仏し、フランス貴族と恋に落ち、やがて男を不幸へと導く。
さらに料亭の仲居をやったり、看護婦をやったりと、変幻自在である。
ひたすらに、男と愛と金を求めて行動する。

小池真理子著「知的悪女のすすめ」(角川文庫)では、悪女が雪女に喩えられている。
「知的悪女は、男を抱いて凍らせてしまう雪女である」と。
男は恐れながらも、その冷たい神秘の魅力にひかれ、虜になってしまうのだという。

悪女とは一体なんなのかはよくわからないが、もしかすると、どこまでも自分を愛そうとする女のことかもしれない。
その強い愛が他者に向けられるとき、情はとてつもなく深いのである。

「悪女聖書」 作・池田悦子 画・牧美也子
全27巻 光文社コミックス

「気分は形而上 うああ」 

女という信じられない生き物の実在を、
形而上学的に考察する。
というよりも、4コマ目で「うああ」と叫ぶ。


気分は形而上 うああ 全19巻 須賀原洋行/作

アリストテレスが「自然学」に続くものとして遺した、「第一哲学」という講義ノートから始まるとされる「形而上学」。
現象の背後にある本質を考えて行こうとする学問らしい。
研究の対象は神、時間、霊魂などといったややこしいものが多い。
存在そのものを問う。
反対に形而下の学問(物理、化学などの自然学)は、万有引力がなぜ存在するのか、時間は実在するのか、などは問わない。初めからあるという前提のもとに出発し、現象を解明していく。

漫画の題名は「気分は形而上」なので、形而下学では捉えられないような不可解ともいえる事象がテーマである。
観察者は「うわわ」と驚愕し、「ゴキちゃん」「けつちゃん」などの不潔で不条理なキャラクターが画面の空気を歪めながら4コマ目で落ちる。

で、作者にとっては結局、人間が一番不可解なものらしい。
コピー機を愛する男とか、驚異的なハンコ押しのスピードで社長を降格させるOLなど、現代のオフィスに実在する、信じられない、奇妙な人間たちの姿が描かれる。

「このOLは実在する」
「このニョーボは実在する」

さらに観察すべき対象は「女」そのものである。
機械音痴、方向音痴、味覚音痴、無謀運転、自分勝手、視野狭窄という女の背後に実在するかのような性。
女こそ、もっとも理解不能な生き物ということかもしれないが、単に自分の嫁が理解できないといった感じでもある。

「気分は形而上 うああ」須賀原洋行
講談社「週刊モーニング」1985年より連載
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