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「少女椿」丸尾末広 


哀しく、妖しく、淫靡な世界。
人間は本質的に変態なのだろうか?



少女椿


L・ボルクによると、人類とは猿が胎児のまま大人になった、生物進化上における、ある種の奇形であるらしい。
心理学者の岸田秀は、ボルクの「胎児化説」をもとに、「人間とは本能が壊れた動物であり、その代用として自我をもった」という説に達している。

で、その自我というものは屈辱体験から生まれるものらしい。
他の動物と違い、すべての人間は「早産」で生まれてくる。
親に守ってもらわなければ生きてはいけない。
そして親の庇護下にあるうちは、他者を知らず、全知全能である。
従ってそのころに、自然の中で生きるための本能を喪失する。
赤ちゃんはみんな我が儘なのである。

しかし成長するにつれ、他者と関わることで思い通りにならない自分を発見する。
同時にみじめで屈辱的な自我が形成される。
この屈辱からの逃走、もしくは闘争。すなわち劣等な自我克服のための闘いこそが人間の一生であるというのが、岸田説の概要であると思う(岸田秀著「ものぐさ精神分析」等)。

意味もなく他者を虐めたり、フリークスの姿をみてなにがしかの快感を覚えたり、異性を変態的に支配したがったりするのも、屈辱克服のための闘争、もしくは逃走の一部分といえるのかもしれない。

笠原みどりの父親は、借金の取り立てから逃れるために蒸発した。
みどりは花売り娘として銀座に立つ。人に騙され見世物小屋に連れて行かれる。
侏儒、魔術師、蜘蛛女、包帯男……。
見世物小屋は、人間の欲と精神の悪臭が漂う、得体の知れない大人たちの世界だった。
みどりは可愛がっていた犬を煮られ、折檻され、忍耐と服従を強いられる。
そして、まだ幼い性すらも無理矢理にこじ開けられる。
鬼畜じみた世界のなかで、強く健気に生きていく水玉ワンピースの少女が哀しく、せつない。

昭和の妖しいレトロ臭に満ちたサイケデリックな色彩に惹かれ、自分の精神の内奥にある得体のしれないものを見せられるかもしれない。

「少女椿」丸尾末広/青林工藝社
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「雨女」水木しげる 

妖怪と向き合うことは、自身と向き合うこと。
貧乏なのも、恋人ができないのも、みんな自分に原因がある。


水木しげるのニッポン幸福哀歌(エレジー)

水木しげるは「珠玉」ともいえる短篇をたくさん描いている。

むろん、妖怪や鬼神のたぐいが出てくる。
ある妖怪は山深くにひっそりと棲み、時に通りかかった人間と関わる。
都会に潜む陽気な妖怪もいる。いじわるな貧乏神もいる。
寂しがりやなのか、しきりに人間とふれ合おうとする妖怪もいる。

人間たちは、妖怪と関わることによって、時に安らぎを覚えたり、楽しい夢をみたり、人生を考えさせられたりする。

老人は雨の山で不思議な館をみつけ、雨宿りをしていた。
館の主らしい若い女が戻ってきた。
女は遠慮しないでいいといい、老人は一夜をともにする。
女は雨の日にだけやってきた。
老人と女は、交わるたびに若くなっていった。
老人は若者に戻った。女は赤子になった。
老人は女の赤子を大事に育てはじめた。 -雨女-

多くの人間は寂しい思いをしているし、たいていの人間が自身に満足していない。
異世界の妖怪と向き合うことは、自身と向き合うこと。
貧乏なのも、恋人ができないのも、幸せを感じられないのも、みんな自分に原因がある。

「水木しげるのニッポン幸福哀歌(エレジー)」 角川文庫
●役の行者●一つ目小僧●貧乏神●猫の町●離魂術●人面草●小豆洗い●幽霊屋敷●影女●雨女●帰って来た男●島●大人物● 打ち出の小槌●管狐●ボヤ鬼●時の神●ぬっぺふほふ●梅干し●異次元の色気

男おいどん 

押入に生えたキノコすら食ってしまうほどの貧乏を、
一度ぐらい体験した方がいい。


男おいどん (1)

貧乏がふえているらしい。
日本は格差社会とやらの進行で、多くの貧乏と、ごくごく少数の金持ちとに別れていくという。
金は寂しがりやだから、たくさんあるところに集まるらしい。
貧乏な人はより貧しく、金持ちはもっと金持ちになっていく。
一億総中流意識のもとの、豊かな日本は昔の話となったようだ。

おいどんとは九州弁で「おい(俺)」と「どん(殿)」。
なんとなく「俺様」に近い語感があるのかもしれない。

大山昇太は九州から上京したが、勤めていた工場をクビになり、赤貧の暮らしをしている。
夜間高校もやめたので、暇だった。
住まいはむろん、四畳半である。
家賃も払えないが、それはそれでなんとでもなる時代だった。
いまのようにクレジットカードで機械的に家賃を徴収されるようなことはなかった。
押入にはなぜか64枚のパンツと猿股があるが、これがほぼ全財産といってもいい。

「男やもめに蛆がわく」

と諺にもあるように、黴びた四畳半の押入にはキノコなども生える。
しかし、食う物がなければ、これも大切な栄養源となる。

金も職もないが、おいどんは若者だから恋はする。
だけど、すべて失恋である。
若者は失恋をしなければならない。

70年代の初め、若者は貧乏風でなければカッコ悪い、親が金持ちでもわざと貧乏をする、
そういう、ある種のフォークソングのような世界観が一部にはあったと思う。
まだ戦後の貧乏の名残りが色濃くあって、この漫画のように人間同士の関係も濃く、温かい感じがあったような気がする。
そういう時代がまたやってくるのかもしれない。

ところで、「男やもめに蛆がわく」の上の句は「女やもめに花が咲き」だが、これはどういう意味なのだろうか。

女やもめに花が咲き、男やもめに蛆がわく。

「男おいどん」 松本零士
1971-1973年「週刊少年マガジン連載」
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