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地獄変(ある地獄絵師の告白) 

いちど取り込まれてしまうとトラウマとなって、
心の中から追い出すことができなくなる絵。


地獄変

芥川龍之介の短篇に「地獄変」というのがある。
これは、良秀という高名な絵師が、我が娘の火に焼かれる姿を描くという凄まじい話。

日野日出志の「地獄変」は、作者自身とその家族の地獄的幻影の世界を描いたかのような作品である。
どこまでが事実で、どこからがフィクションであるかという読み方よりも、すべて作者がみた人間のリアルな情念的世界という捉え方をしたほうがいいように思う。
日野日出志は怖さというのは「娯楽」であると語っている。
恐ろしく濃い「娯楽」があったものだ。

まず、画家である主人公の家族が凄い。というか、狂っている。
妻は霊的世界を彷徨う人で、死霊と酒を酌み交わしたりする。
息子は小動物を平気であやめる。どくどくと流れ出る血をみて狂喜する。
画家の父親は博徒という時代がかった存在で、不気味な蝙蝠の入れ墨を背中にしょっていて、その妻、すなわち画家の母親は精神を病んだ女である。

画家は画布に呪いをかけるかのように、自身の血を塗り込める。
その画題も人間の地獄そのものであり、表現も直截的である。
こういう漫画の魅力は、主人公の絵の「画力」に負うところが大きいが、作中で表現される絵は、極上の恐怖がもつ目をそむけたくなるような妖しい輝きに満ちている。
いちど取り込まれてしまうと、トラウマとなって、心の中から追い出すことができなくなる。

「地獄変~ある地獄絵師の告白~」
日野日出志
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エコエコアザラク 

「では悪魔に感謝の気持ちを表すため
一番大切にしているものを出しなさい」


エコエコアザラク (1)

デイヴィット・コンウェイの『魔術・理論篇』などを読むと、魔術の実践において「視覚化」の技術がいかに大切かがわかる。
ここでいう「視覚化」とは、天台密教の止観にも似ている。想念を一点に集中する。たとえば止観の行を極めた人間が川の流れを想っているときに、誰かがふいに部屋の襖をあけた。すると、水があふれ出してきたという有名な話がある。イメージをありありと投影することで、他人をも巻き込むことができるらしい。

魔術には黒魔術、白魔術、精神魔術などいろいろあるようだが、『エコエコアザラク』の黒井ミサはおもに黒魔術を使う。

「では悪魔に感謝の気持ちを表すため一番大切にしているものを出しなさい」

黒井ミサが悪魔ルキフェルを召還するときにいったセリフ。
ミサは学校の友だちの恋を成就させるために、召還魔法を使ったりする。
街角で占いもやっている。頻繁に引っ越しをしているようで、ときに大きな洋館にひとりで住み、庭で虎を飼っていたりする。

一話完結のストーリーだから、それぞれが自在に飛ぶ。
ミサは黒魔術を使うおそろしい魔女だが、幽霊屋敷を怖がったり、亀に呪われた一家から逃げ出したりと、可愛いらしい少女の面もおおいに見せる。

何度か映像化された作品だが、原作の漫画の雰囲気がやはりいい。
いにしえのゴーゴー喫茶なども出てくるし、全体にレトロな趣きが漂っている。

「エコエコアザラク」古賀新一
1975-1980年「週刊少年チャンピオン」連載

不思議のたたりちゃん 

女による女の観察。
女による女のいじめと、女による祟り。


不思議のたたりちゃん(1)

たたりちゃん(神野多々里)は生まれてすぐ、病院の看護婦からいじめられた。
学校に通うようになると、生徒からも先生からもいじめられる。
たたりちゃんは時にうざがられることもする。
みんなから、ちょっとズレているとも感じる。
でもたぶん、みんなの方がズレているのだと思う。
たたりちゃんは言わなきゃいけないことはしっかりと言う、強くてやさしい子だ。
いじめられても、一所懸命頑張って学校に来ている。

学校の奇麗な女の子たちは、女のどろどろした醜い部分を持っている。
だから、たたりちゃんへのいじめは精神的にも肉体的にもきつい。
埋める、髪の毛を切る、石を投げつけるといった暴行だけではない。みんなの前で日記を読まされたりもする。
しかし、いじめた子には恐ろしい祟りがめぐってくる。
目から針が飛び出してきたり、いきなり赤ちゃんにされてしまったり、化け物の世界で生きることを強要されたりする。

たたりちゃんは、自分がぼろぼろにされながらも、どこまでも健気にみんなのことを思い、いじめっ子には、ときにお仕置きとしての強烈な祟りを与える。
みんなにやさしくなってもらうためにやってきた、魔力を持つ天使のようだ。

「不思議のたたりちゃん」犬木加奈子
「少女フレンド」1991年- 連載

木枯し紋次郎 

あっしには、
関わりのねぇことでござんす。

木枯し紋次郎 DVD-BOX 3 新・木枯らし紋次郎 編

「あっしには関わりのねぇことでござんす」
市川崑監督のテレビドラマ『木枯し紋次郎』で、紋次郎役の中村敦夫がつぶやいたこのセリフが70年代に流行った。
「関わりのねぇこと」言いながらも関わらずにはいられない、どうしても関わってしまう紋次郎の生き様が泣けてくる。

紋次郎は、上州新田郡三日月村の貧しい百姓の家に生まれ、十の歳に故郷を捨てる。その後、一家は離散したといわれる。「股旅もの」の常道で天涯孤独、無宿の渡世人である。
老い先短い母親のいる兄弟分の身代わりとなって紋次郎は流刑人となった。兄弟分は、母の最期を看取るまでと固く約束していた。
ゆえあって島抜けの仲間に加わるが、裏切り、仲間割れが起こり、ひとり紋次郎のみ娑婆へでることになる。そして娑婆で再会した兄弟分の態度をみて人間に絶望した。
紋次郎は、あてのない旅にでる。

どこへ行っても、世知辛い世の中である。旅の先々では、それぞれの人生を背負った人たちと出会う。手前勝手に欲望のままに生きる汚いやつらが弱い者をいたぶっている。
「関わりのねぇこと」とつぶやきながらも、激しく関わらざるをえない。
正統の剣術を身につけたわけではない。命を捨ててかかるような渡世人の喧嘩剣法。
くそったれた人間どもに怒りをぶつけるような、破れかぶれの闘い方だった。

死に場所を求めて彷徨うような旅だが、上條恒彦が歌った主題歌『だれかが風の中で』は、「どこかで誰かがきっと待っていてくれる……」という詞で始まる。
長楊枝をくわえて虚無主義をよそおいながらも、どこかでまだ人間に期待しているかのような紋次郎の哀しさを感じた。

「木枯し紋次郎」
劇画版  笹沢左保原作・小島剛夕画 リイド社
テレビドラマ 1972年- フジテレビ系 監督/市川崑・他 主演/中村敦夫

バイオレンスジャック 

バイオレンスによる支配とバイオレンスによる抵抗。
善も悪もない、それぞれの自己表現による群像劇。

バイオレンスジャック (ゴラクコミックス) 全31巻 永井豪作 

「関東地獄地震」によって房総半島はちぎれ、丹沢山系には火山灰の壁が出来た。
さらに群発する地震が関東を孤立させた。関東は無法地帯となっていた。
スラムキングは、暴力による恐怖政治を布いて関東に君臨していたが、バイオレンスジャックの出現が人々を目覚めさせた。

スラムキングは母親の腹を突き破って生まれてきた異常児だった。
病的な力の持ち主で、常に鎧を身につけていなければ生きられない異常人だった。
幼少の頃より誰からも愛されなかったため、完全なる支配によって愛までも得ようとしていた。
キングの愛を拒めば、斬馬刀で手足を斬られ人犬にされる。
鎖に繋がれた男と女は涙を流し、おびえながらも、キングを倒してくれる人間を待ち望んでいる。どんな状況におかれても暴力には屈しない。

謎の巨人バイオレンスジャックは、鉈のようなジャックナイフをふるい、たった一人でキングの勢力に打撃を与える。ジャックは関東の人間たちに自由と自立への闘いを身を持って伝える。その伝え方は激しすぎるため、ジャックが通り過ぎたあとは廃墟となる。
やがて関東のすべての力がスラムキングの砦へと向かう。

「バイオレンスジャック」の舞台である無法地帯の関東は、人間の業をすべて吐き出すような激しい自己表現の場であると思った。誰もが全身全霊で生き抜かなければならない。
そして、他を認めない自己表現は滅ぼされると感じた。

「バイオレンスジャック」 永井豪
1973-1974年「週刊少年マガジン」連載
1977-1978年「月刊少年マガジン」連載
1983-1990年「週刊漫画ゴラク」連載

デビルマン 

万物の霊長だったはずの人類に天敵がいた。
天敵は人を喰うか、人と合体する。





太古の氷の中から甦ったデーモン(悪魔)たちは、精神的な攻撃によって人類をゆさぶる。

デーモンは無作為抽出による合体を始めた。
いきなり合体を仕掛けられると、ショック死するケースが多い。
その場合、むろんデーモンも死ぬが、いつ悪魔化するともしれない恐怖はただごとではない。
偶然合体に成功したデーモンは、素知らぬ顔で人間社会に紛れ込む。
人類を、互いに疑心暗鬼にさせることが、デーモンの狙いだった。
人間の弱い部分を突く。
知恵者がデーモンたちを操っているように思われた。

人間社会の中にスーツを着て紛れ込んだデーモンは、主食としての人間を襲う。
恐怖に引きつった顔の人間を喰うことを好む悪趣味は、悪魔そのものである。
やがて、中世ヨーロッパの魔女狩りのように、人間が人間を狩り始めるようになる。

不動明は友人の飛鳥了の企てによって、早くにデーモンの存在とその怖ろしさを知らされる。
明は強い酒を浴び、精神を解放し、本能をむき出しにした状態でデーモンとの合体に成功する。
合体したデーモンは地獄の勇者と恐れられたアモンだったが、「意志の闘い」の末、明の意識が肉体を支配する。
デビルマンとなった明は、その場にいた悪魔たちをみなごろしにした。

デーモン軍団による総攻撃によって、人類と悪魔たちによる、黙示録のような最終戦争が始まる。
不動明はデーモンと闘い、人間を守ることに使命を感じていた。「シレーヌ」や「ジンメン」などの凶悪なデーモンも死闘の末に倒した。
が、デビルマンとなって違う視点から人間をみることで、その精神の脆さ、あまりの愚かさに気づく。人間そのものに絶望し、怒りの業火を立て、周囲の人間すべてを焼き尽くす。
明は孤独に陥り、目標を失うが、やがて自分と同じ仲間であるデビルマンたちを求め、組織する。

霊長を自認する人類だが、多分に愚かであることはわかっている。
天敵でも得ることで、もう一段階進化した方がいいのかもしれない。

作者の永井豪は、デビルマンで描かれた美しい妖鳥「シレーヌ」、喰った人間の顔が背中の甲羅に宿る「ジンメン」などの悪魔キャラクターに思い入れがあるようで、他の作品にも登場させている。

「デビルマン」 永井豪
1972-1973年「週刊少年マガジン」連載
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