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代打屋トーゴー 

あんたは道具に頼りすぎだよ。
人間汗出して走らにゃ。


代打屋トーゴー(1)

第28話「ゴールド・バスター」で、攻撃ヘリまで持ち出してきた敵を倒したときに、トーゴーがはいたセリフ。

吉本大介はふたつの顔を持つ。
表の顔は東京の某区役所土木課に勤務する無能職員。
裏の顔は代打屋で、殺人と営利誘拐以外ならどんなことでも引き受けるパーフェクト・フォロー・ピンチ・オフィスの所長。
持ち込まれる依頼は、逃げたアナコンダや猫の捜索からボディガード、サルベージ、救出などさまざまだが、基本的には奇妙奇天烈な怪事件、あるいは馬鹿げたもの。

トーゴーは科学知識もあり、人間の心の機微にも通じているようだが、スキも多く、仕事の過程で頻繁にダメージを負う。
ただし、引き受けた仕事に対する粘着力、醜いまでのしぶとさ、突拍子もないアイディア、嘘のような運の強さで、最後は仕事を完遂する。
そして依頼人や敵に向かって格好をつけたセリフをはく。

第32話の「ハリマオ」が印象に残っている。
ハリマオは異国から来たメスの虎のような気を発散する美女で、男たちは彼女に近づくだけで性の放出が止まらなくなり自滅する。トーゴーはハリマオの体の謎を解明し、最後は彼女を導く。

裏の顔を持つ男の話は、大藪春彦の「蘇る金狼」など昔から結構ある。
男にとって憧れの生き方のひとつなのかもしれない。
これからの時代、サラリーマンも副業、いや本当の自分を出せる「精神の正業」とでもいうものを持っていたい。

「代打屋トーゴー」 たかもちげん
1983-1990年「コミックモーニング」連載
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ねじ式 

「懐かしい文学」として味わいたい作品集。
解釈も感じ方も人それぞれでいいと思う。

ねじ式

1967年頃から月刊「ガロ」に掲載された、つげ義春の短篇集。
表題作の「ねじ式」は、海岸でメメクラゲに刺された男が病院を探して町というかシュルレエルな世界を彷徨ったあげく、破れた静脈をねじで止めてしまう話。他の漫画家による多数のパロディ作品が生まれ、映画化もされた。

個人的には「初茸がり」が好み。
雰囲気として、水木しげるの初期短篇を彷彿とさせる。

まず、おじいさんと坊主頭の少年がふたりだけ、というのがいい。
木と紙と畳の家、山とたんぼに雨という日本の原風景のような景色がいい。
田舎がすでに不思議世界になりつつあった。
おじいさんは不思議世界のことをなんでも知っている。
少年にとっては見るもの聞くものすべてが珍しく好奇心をくすぐられた。
少年は山腹の、ある部分にだけ雨が降っているのを発見した。
おじいさんに光の悪戯だと教えられた。

おじいさんは明日「初茸がり」に連れていってやるという。
少年は目を輝かせた。
少年はうれしくて眠れなかった。
おじいさんは鼻提灯をつくっていびきをかいていた。
少年は大きな柱時計の音が気になった。

おじいさんが朝起きると、少年は大きな時計のなかで眠っていた。

「ねじ式」つげ義春 小学館文庫
●第1話/ねじ式●第2話/沼●第3話/チーコ●第4話/初茸がり●第5話/山椒魚●第6話/峠の犬●第7話/噂の武士●第8話/オンドル小屋●第9話/ゲンセンカン主人●第10話/長八の宿●第11話/大場電気鍍金工業所●第12話/ヨシボーの犯罪●第13話/少年●第14話/ある無名作家

男樹 

俺はろくでもない息子だった。
しかしな、おふくろが生きていたあかしになる。

男樹 全6巻 本宮ひろ志作 

村田京介が祖父の乗る車を強引にとめ、骨壺から母の骨の一部を奪った時にはいたセリフ。
京介が少年院に入院中、母・志津子は病死していた。

「男気(おとこぎ)」は損得を顧みずに弱きを助ける、困っている人を見過ごせない気性。つまり侠気を意味する言葉だが、この漫画の影響か、男気ではなく「男樹」と書く人が多くなった。

「男樹」は「男という大きな樹を育てろ」「しっかりと根をおろせ」というこの漫画のテーマを表す言葉だと思う。
京介は高校生の頃、村田組系大心会の武藤との決闘に臨み、引いて生きる人生ではなく、どんな場合でも強く前に出て生きることを誓った。そのため、あらゆるものとの闘いの中でしか生きられなくなる。恋人の久美子にも母と同じ苦しみを与えることになる。父・村田正三が持つ「任侠の血」がそうさせたのかもしれない。

京介は母や友人たちの死を体に刻みながら、すべてを肥やしにして「男樹」を育てていく。

この漫画の続編として「新・男樹」「男樹四代目」がある。
正三から京介、京太郎、京子へと続く村田四代の物語で、本宮漫画特有の破れかぶれのパワーは健在だが、全体に流れる悲しみやテーマ性といったものは初代の「男樹」に比べると弱い。

またレトロな雰囲気を味わうなら「男樹」の方である。
1979年に描かれたものとしても、これは世界観、価値観がかなり古い。いい意味での古くささがある。

「男樹」全6巻 本宮ひろ志 「ビッグコミック」1979-1980年連載

聖-天才・羽生が恐れた男 

将棋盤に叩きつけた命の棋譜。
村山聖九段、29年の生涯を描く。


聖―天才・羽生が恐れた男 (1)

村山聖(さとし)は5歳の時からずっと病院暮らしだった。
腎臓ネフローゼというやっかいな病気で、20歳まで生きられないだろうといわれていた。
院内学級の子供たちは、友だちが突然いなくなることに慣れていた。
ある夜、友子がいなくなった時も、みんな何もなかったようにふるまっていた。
友子のベッドには、友子が可愛がっていたぬいぐるみだけがいた。

聖は6歳の頃、病院で直人という仲間から将棋を教わる。
異常な才能をみせた。
聖の命は将棋のためだけに使われるようになった。
全国小学生将棋名人戦では、のちに七冠となる羽生善治や佐藤康光と出会う。

森信雄を師匠に10代でプロ棋士となった。
薬の副作用のせいか、顔がぷっくりとしていた。
その顔が鬼と化し、叩きつけるように駒を打つ姿から「怪童丸」の異名をとった。
「東の羽生、西の村山」と称され将来を期待される。
が、ネフローゼに加えてガンの発生、手術、再発、転移……。対戦中に朦朧とすることもあった。
将棋の神に命を差出すような勝負と、激しい闘病の中で八段まで昇進する。贈九段。

小児病棟で幼なじみだった美樹ちゃんと、中学の時に再会した場面が印象に強い。
美樹ちゃんは、病院でも散歩でもいつも制服姿だった。ほとんど学校には行けないといった。
制服をできるだけ着ていたいという。みんなと同じように学校へ行きたいと。
そして聖くんの夢が将棋の名人になることなら、私の夢はお母さんになることだといった。
不覚にも、本の上に涙を落としてしまった。

「聖-天才・羽生が恐れた男」全9巻 山本おさむ

バンパイヤ 

苦しみながら悩みながら戸惑いながら、
抑圧された「野性」を解放する一族。

手塚治虫漫画全集(320)

人間の脳というのは、本能を司る部分(爬虫類などと同じ脳)の上に、知性の新皮質が積み上げられた構造になっているという。つまりは野獣の脳もあわせもっているのである。
人間はいつも、凶暴な野性を解放したがっているのかもしれない。

手塚治虫の「バンパイヤ」はいわゆる吸血鬼ではない。
どちらかというとライカンスロープ(人狼)のたいぐいではないかと思う。

バンパイヤ一族は人狼だけではない。多種多様で、それぞれ大蛇、犬、猫、馬などに変身する。
一族は虐げられ、ひっそりと暮らしていたが、ある夜、秋吉台の鍾乳洞に集い、バンパイヤ革命を起こすための決起集会を開く。
バンパイヤ革命とは一族による社会への復讐か、あるいは人類の本能の解放か。

トッペイは月を見ると狼に変身するバンパイヤ一族の少年だった。
一族の掟を嫌い、新しい生き方を志して東京に行く。
東京でロックこと間久部録郎(まくべろくろう-シェイクスピアの「マクベス」のもじり)と出会う。
ロックはとんでもない男だった。
過去、クラス全員の机に小便をかけて学校を逐電していた。
ロックはバンパイヤ一族の力を利用し、自らの大いなる野望を実現すべく動き出す。

女バンパイヤの岩根山ルリコは、玉葱の匂いを嗅ぐとメスの狼に変身する。
苦しみながら狼化していく姿がセクシーだった。

「バンパイヤ」手塚治虫
1966-1967年「週刊少年サンデー」連載

ホワッツマイケル? 

気まずい雰囲気になると、
踊ってごまかす猫。

What’s Michael?(3)

猫は仏典と一緒に日本にやってきたという。
インドの猫が仏典とともに、まず中国に渡った。そして中国から日本に仏典が伝わる時も、猫がくっついてきたらしい。仏典や仏具は鼠に囓られることがある。猫は鼠捕りの役目を持たされていたといわれる。

マイケルというしゃれた名前の猫がいる。
この猫には今林(こんばやし)という漫画家夫妻をはじめ、複数の飼い主がいるようだ。それぞれの家を気ままに渡り歩いて暮らしている。

マイケルは歯磨き粉と、サロンパスと、ミカンの匂いが嫌いで、獣医を嫌悪していた。
風呂も大嫌いである。シャンプーを見ただけで逃げ出す。
そのくせ、中年男の客に抱かれるのを嫌がり、男の口臭に顔を背けたりする。
蠅捕りに失敗したところを飼い主に見つけられると、踊りながら退場したりする。

マイケルは猫としての本能に逆らえない。
飼い主にいくら怒られても籐の家具をぼろぼろにしてしまうし、遊びたい気分ではなくてもネコジャラシを使われるとついカラダが反応してしまう。
怒るとカラダが膨らみ、うれしいとしっぽが立ち、興奮すると意味不明の行動をとってしまうことも自分では制御できない。人から受けた恩をすぐに忘れてしまうのも猫の本能である。

マイケルは争いごとを好まず、涼しく居心地のいい場所を見つけて気ままに暮らしていたが、仏頂面の太った巨猫「ニャジャラ」が登場したり、可愛い仔猫が生まれたりして、物語はだんだんにぎやかになっていく。

猫の習性をデフォルメしつつ、小林まこと独特の不思議な「間」によって表現された猫と人間の生態漫画。

「What's Michael?」全9巻 小林まこと 
1984年- 「週刊コミック モーニング」連載

魁!!男塾 

気にすんな、おまえが弱いんじゃねぇ、
俺が強すぎるんだ。


魁!!男塾(第15巻)

男塾一号生で覇極流槍術の達人・伊達臣人が、倒した敵に捧げた自意識過剰の名ゼリフ。

男塾は三百年の伝統を誇る全寮制の私学校で、たぶん現学制上では高等学校の課程を修めるところ。
塾長の江田島平八は旧海軍士官で、教育方針は精神主義そのもの。
といっても、べつに愛国心を植えつけたりするのではなく、ひたすら根性を磨くためだけに馬鹿げた試練を塾生たちに与え続ける。

たとえば男塾名物のひとつである「直進行軍」。
ただ単に街に出て全員で道を直進するだけの授業だが、途中、どんな障害があろうとも避けてはいけないという決まりがある。だから食事中の民家にも土足で踏み込み、ヤクザの事務所も交番も打ち壊して直進を続ける。その結果起こる悲惨な状況にも耐えなければならないという課外授業だ。
そして「油風呂」や「撲針愚(ボクシング)」など、どういう意味があるのかわからない試練が毎回続く。

考えてみると、大人の社会も理不尽なことだらけである。理不尽が平気でまかり通っている。
どんなことにも耐えてみせるという意地と根性を持った人間が社会に出て大成するともいえる。
塾生たちは無理難題に一丸となって立ち向かうことで、厚い友情で結ばれるようになる。

話は「驚邏大四凶殺編」あたりから決死の武道大会が延々と開催され、闘いの日々が続く。
一号生筆頭・剣桃太郎、伊達臣人、富樫源次、三面拳、三号生筆頭・大豪院邪鬼らが男塾代表となり、全国や世界の猛者たちと死闘を繰り広げる。

現実離れした拳法や武術が次々に出てきて、その都度、技や訓練法などについて「もっともらしい」解説がなされた。
出典はたいてい「民明書房」刊行の書籍。
「民明書房」は架空の出版社だが、この「もっともらしい」手法がうけ、ネット掲示板などに嘘ネタを書き込むときの引用元として使われるようになった。

「魁!!男塾」宮下あきら 1985-1991年「週刊少年ジャンプ」連載

天空の門 

最高裁「第四の小法廷」で裁かれる、
犯罪者に取り憑いた、もうひとつの魂。

天空の門 1 (1)

最高裁判事は15名で、第一から第三までの小法廷にそれぞれ所属する。
だが、万里谷礼によって第四の小法廷が開廷された。
被告人の奥底に潜んでいる悪霊までが裁かれることになった。

万里谷は死刑囚だった。
絞首刑が執行されたが、首が絞まる瞬間に幽体離脱し、医師が臨終を確認したのちに戻ってきた。
執行官は混乱し、万里谷は最高裁預かりとなった。
万里谷は法的には死亡とされ、最高裁の奥深くに幽閉されたまま「第四小法廷」の判事となる。
特別な被告だけをそこで裁くために。

科学警察研究所心理研究室、通称オカルトクラブに所属する日向公文警視は、幼い頃、ともに「天空の門」を見た万里谷の要請により「第四小法廷」の調査官となる。科警研の科学鑑定や、身辺の徹底調査を経てクロと判断された容疑者は「第四小法廷」に引きずり出される。
万里谷が裁くのは被告の背後にいる真の被告。
悪の魂は、時代を超えて生き続け、現代の凶悪犯たちの肉体を通して犯罪の快感を愉しみ続けていた。

心霊科学とやらのセオリーに則ったオカルト劇画だが、最高裁、科警研、チヨダ(公安)、皇宮警察などの機関を絡めたストーリーに新しさがあった。
最後は「天空の門」の向こうにいる存在から人類そのものが裁かれるという大きなテーマへと展開する。

江戸期に獄門となった悪相の男の復顔模型や、万里谷がズズッと背中から悪霊を引き出すシーンの描写が気色悪くてよかった。

「天空の門」全6巻 菊池としを 1997年- 「ヤングジャンプ」連載

銀牙-流れ星銀 

使命感、仲間意識、怯まない心。
犬好きにはたまらない犬たちの挽歌。

銀牙―流れ星銀 (4)

食肉目イヌ科イヌ属タイリクオオカミ種イエイヌ亜種(もしくはイエイヌ種)。
犬と人間は1万数千年以上も前から親しかったといわれる。
人間は犬が好きだし、犬の方も人間のことをずっと好きでいてくれているようだ。

奥羽のマタギである武田五兵衛老人は、凶暴な巨熊「赤カブト」を目の敵にしていた。
五兵衛の猟のパートナーは優秀な熊犬リキと村田銃だった。
村田銃は明治期に連発式の国産ライフルとして開発され、明治陸軍の制式銃となったもので、相当な年代物のはずであるが、五兵衛はこれにこだわっていた。

五兵衛の村田銃によって頭に銃弾を食らった「赤カブト」は狂い熊となり、冬眠もせずに山を徘徊するようになっていた。体も巨大になり、性悪な逃亡熊たちを配下にして牙城を築き、奥羽山中に君臨していた。

「赤カブト」との闘いで五兵衛と離れ離れになった熊犬リキは、ハンターによって山中に置き去りにされ、野犬化していた犬たちを率いていた。打倒「赤カブト」をめざし、さらに全国の犬たちを結集すべく配下の犬たちに旅立つよう号令をかけた。
リキの息子である銀は、全国の「男」たちと闘い、友情を築くなかで成長してゆく。

最初はマタギの話かと思ったが、犬たちが主役の大絵巻のような物語だった。
リキ、銀の親子は秋田犬種で、グレートデンのベン、ドーベルマンのテリー、ジャーマンシェパードのジョン、紀州犬の甲賀忍犬赤目、サルーキーのクロスなど、いろんな犬が出てきて熱い会話を交わし、それぞれの生き様、死に様をみせる。

「銀牙~流れ星銀」高橋よしひろ 「週刊少年ジャンプ」1983-1985年連載

仮面の忍者赤影 

赤い仮面は謎の人。
どんな顔だか知らないが、目だけは涼しかった。

仮面の忍者 赤影 第一部 金目教編

主役の赤影はいつも赤い仮面をつけていた。 目元が涼しく、鼻筋の通った二枚目であることはわかっていたが、どんな俳優なのかは知られていなかった。
赤影役の坂口祐三郎 は1963年に東映のニューフェイスに合格、その数年後に始まった実写版赤影の主役に抜擢されたようだ。
いつまでも「赤影のお兄さん」として、懐かしのテレビ番組特集などに出演していた姿が思い出される。2003年、61歳で亡くなった。

「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃……」
背景を説明するナレーションから毎回ドラマは始まった。
甲賀忍者の領袖幻妖斎とその手下たちが、幻術によって邪教「金目教」を民衆の間に広めていた。
幻妖斎もまた、闇の世界からの天下統一を狙っていたのだ。
織田信長の命を受けた木下藤吉郎は、飛騨の忍者赤影に「金目教」の壊滅と甲賀忍者退治を依頼する。
赤影は、仲間の白影(牧冬吉)、青影(金子吉延)を率いて幻妖斎と対決する。

幻妖斎の配下である霞谷七人衆の面々がなんとも奇妙奇天烈だった。
鬼念坊、蟇法師、白蝋鬼など、名乗りからしておどろおどろしい。
たとえば傀儡甚内(くぐつじんない)は、他人に化ける術を使う。百面相のように自由自在に顔を変えてやりたい放題だったが、最後は赤影に破れ、素顔を晒される。傀儡の正体は、なんと「のっぺらぼう」だった。

紅一点の闇姫は弱い女のふりをして赤影たちを騙す。得意の術は「忍法髪あらし」で、首を振って長い髪を回しながら風を起こす。風はやがて木をなぎ倒すほどの暴風となる。極悪非道の鬼女だが、しかし女ゆえに、まだ子供の青影を哀れに思い助ける。これが幻妖斎の怒りを買い、悲惨な最期をとげる。

白影は、赤影と青影がピンチになると、よく凧に乗って現れた。
青影の、鼻に親指を当て、てのひらを返しながら「だいじょうぶ」と言うおちゃめなポーズが、なんだか知らないが当時うけた。

「仮面の忍者赤影」横山光輝 週刊少年サンデー1966-1967年連載
実写版1967-1968年放映 関西テレビ

はれた日は学校をやすんで 

あの頃のこころの痛みを思い出して、
あの頃の自分を大切に。

はれた日は学校をやすんで

自分が着るべき新しい制服を見た女の子は、こころに違和感を走らせる。

「だってみんなと同じだもの。これじゃおかあさんだってわたしのことみつけられないと思うわ」
「おかあさん わたしこれ着ないよ」

人間を型にはめるために、「勉めて強いる」場所。
学校はすべての可能性を奪うところ、と言ったのはジョン・レノンだったと思うが、無理矢理机に座らせられ、みんなと同じことをさせられ、しかもそれが毎日毎日続くとなったら、はみ出してしまう子も出てくる。はみ出しても、よってたかって引き戻されるとしたら、気の弱い子なら引きこもってしまうかもしれないし、逆にぜんぶ壊してやろうとイジメや暴力に走る子が出てくるかもしれない。
そして、そんな「わがままたち」が集まっている学校では、人間関係とかいうものの悩みもたくさん出てくる。

あの頃のこころの痛みを思い出す、ちょっとせつない漫画。

「はれた日は学校をやすんで」 西原理恵子
1989-1994年の作品集 双葉文庫

無能の人(つげ義春自選集) 

なんにもしないで生きるのが一番いい。
若い頃、重労働で苦労したし疲れたし。

つげ義春自選集(6)

自分は、ほんとうにこの社会に適合しているのか、いつか社会から放り出されてしまうのではないか、という不安は誰にでもある。いや、そういう不安がある人の心に響く漫画なのかもしれない。

たぶん、あらゆる経済活動には多少なりとも悪の要素がからんでくる。

「おれは とうとう石屋になってしまった」

ところが、河原で拾った石を河原で売るという行為はどうだろう。
そこには悪の要素も善の要素もなにもない。争いも嫉妬も、羨望もない。
そもそも経済活動といえるのかどうかもわからない。
自然の石は、すべてオリジナルであり、偶然によって生まれた唯一無二のカタチと色艶、味わいがある。
蘊蓄はいかようにでも創り出せる。
興味のない人なら聞きたくもない蘊蓄だが、世の中は広く、同じような感性で響きあう奇妙な人間たちがいた。

作者のつげ義春は、小学校を出てすぐに工場で過酷な労働を経験したという。
水木しげるのアシスタントを経て月刊誌「ガロ」に作品を発表。
のちに「つげ義春ワールド」と呼ばれる独特の世界を構築し、70年代の若者から熱い支持を得た。
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