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日出処の天子 

飛鳥斑鳩の権力闘争に、奇妙な恋愛感覚が絡む物語。
異能力を使う妖しい雰囲気の聖徳太子がいい。

日出処の天子(第1巻)

「十七条の憲法」を制定し「神仏習合」によって和の政治を行った、すぐれた為政者としてのイメージが強い聖徳太子だが、ここでは古代の呪術を使う、神秘的な人物として描かれている。

飛鳥時代というのはよくわからないし、映画やドラマで描かれることも少なく、あまり馴染みがない。大王(おおきみ・天皇)家を始め、家督の継承は父子よりも兄弟間で行われることが多かったり、また近親婚もふつうで、夫婦は同居せず夫が妻の家に通う「妻問い婚」といった婚姻形式などもあって、遠い異国のような感じがする。「日出処の天子」(ひいづるところのてんし)では、そうした不思議な時代の雰囲気が味わえる。

厩戸王子(うまやどのおおじ・聖徳太子)と蘇我毛人(そがのえみし)、その妹の刀自古郎女(とじこのいらつめ)が中心となって物語は展開する。
厩戸王子は性を超えた存在で、蘇我毛人に強い愛情を抱き、精神感応で触れあおうとする。そこに、実の兄に恋心を抱く刀自古郎女が絡んできて、古代の妖しい世界は深まっていく。

タイトルの「日出処の天子」は、聖徳太子が隋の煬帝に宛てたとされる国書「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す、恙無きや 云々」からとられている。

「日出処の天子」山岸涼子 全7巻 白泉社文庫 
1980-1984年「LaLa」連載
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ブッダ 

お釈迦様の生きた時代を「なま」で感じながら、
お釈迦様の生涯のだいたいのところを知る。


手塚治虫漫画全集(287)

手塚治虫の「ブッダ」は、たとえば入院中などに読むといいかもしれない。
就職や転職先が決まって入社まで暇なとき、あるいは受験から解放されたときなどもいいかもしれない。
要は、人生のエアポケットのような時間に一気に読んでしまうのがいいと思う。

物語は、自分を食べてくれと言って、火の中に飛び込む兎の話から始まる。
いきなりガツンとやられたような感じで、生きるとは何かということを強く問いかけてくる。

シャカ族の住むカピラヴァストウの王子として生まれたゴータマ・シッダルタは「生・老・病・死」の苦悩からの解脱をめざして30歳で出家する。シッダルタのカースト上の身分は最上位のバラモンではなくクシャトリア(王侯・武士)だろう。だから正規の僧・婆羅門ではなく紗門ということになるのかもしれない。

シッダルタも最初は他の僧と同じように苦行をし、身体をいじめ抜く。
骨と皮になって死にかけたシッダルタに乳粥を与えるスジャータがやたらに陽気で可愛らしい。地獄から甦ったシッダルタは沐浴し「菩提樹」の下で瞑想に入り、やがて悟りをひらく。
ブッダとなり後光が差す。
「初転法輪」を行ったといわれる鹿野苑や、竹林精舎、祇園精舎の雰囲気がいい。ほとんど野宿のような暮らしの中で、弟子たちに教えを説く。
「沙羅双樹」の下、80歳で入滅するときには、たくさんの動物たちがブッダの周囲に集まってくる。ここは泣ける。

手塚独自のさまざまな解釈はいいとしても、 悟りとは何かという究極の問題をもっと深められなかったのかとも思う。解脱しブッダとなったシッダルタは、まだ人間臭いし悩みがありそうである。しかし「なま」のブッダとは案外こういう感じだったのかもしれない。

日本人ならたいていの人が、小さい頃から仏壇の前で手を合わせ、線香の匂いを嗅がされて育ってきている。その源流がなんなのか、お釈迦様とはどういう人だったのか、だいたいのところを知っておくのにいい。

手塚治虫全集「ブッダ」全14巻
「希望の友(コミックトム)」1972-1983年連載

へび女 

精神医学上の憑依妄想か、真の妖怪か?
怖ろしくて、やがて哀しい「へび女」。

へび女

かつて「へび女」といえば縁日の怪しい見世物小屋の定番だった。
「親の因果が子に報い~」
客引きの口上にひかれて入ってみると、窮屈そうなへびの衣裳を身につけた女が、無表情で座っているとかいう落ちだった。あるいは大へびを身体に巻きつけて戯れているような様子。人魚とか河童も同じようなパターンだった。
昔の見世物小屋は、でたらめなこともやっていたらしい。
本物のフリークスを幼い頃に買い取って見世物したり、無理矢理芸を仕込んだりしていたようだ。「人間ポンプ」「電飾人間」など、エスパー伊藤や電撃ネットワーク風の我慢大会のような芸も多かった。

なんの目的かはわからないが、入院中のママは弓子に「へび女」の話をする。
「へび女」が別の病棟にいる。その女は体中に鱗がはえ、口は耳元まで裂けているという。
好奇心を起こした弓子は「へび女」を探しに行く。薄暗い隔離病棟のようなところに女の患者がいた。
女は弓子に「カエル、持ってない?」と聞く。女は弓子の鞄から理科の教科書を取り出してカエルの写真が載っているページを破り取る。
次の日、弓子は退院するママを迎えに行くが、様子が変だった。ママの寝ていたベッドには鱗が落ちていた。家に帰って来てからもママは奇妙だった。卵は生のまま飲み込むし、肉を生で食べたいという。
弓子は入浴中のママを見に行く。背中に鱗がはえているような気がした。これはママではなく「へび女」ではないかと思い、例の女の患者がまだ病院にいるのかどうか確かめに行くが、女はそこにいた。弓子は混乱する。
男の子に頼んで池のカエルを捕ってもらい、ママに罠を仕掛ける。(ママがこわい)

弓子は夏休みに、おばさん、おじさん、いとこの京子のいる田舎に行く。
ところが田舎では、弓子という名の「へび女」が東京からやってくると、占いによって予言されていた。村の人は弓子の姿を見ると逃げ出す。
弓子といとこの京子は、昔からへび屋敷と恐れられ、廃屋となっていた家に行く。
「へび女」はそこで弓子を待っていた。いきなり襲いかかってきた。ふたりは逃げ出したが、京子の体内に「へび女」の血が注入されてしまう。京子は無意識のうちに庭のカエルを捕まえ、そのまま飲みこもうとしてハッと我に返ったりする。(まだらの少女)

田舎の伝説にまつわる憑依妄想、もしくは祈祷性精神病のたぐいか、真性の魔物かはわからない。
女は怖い。妄想とか、思いこみの激しさが女を怖いものにしている。
母親や仲のいい従姉妹が突如豹変し、自分を「へび女」だと思いこむとしたら、こんなに怖い話はない。

「へび女」(ママがこわい まだらの少女 へび少女)
1965-1966年「週刊少女フレンド」掲載

おろち 

人間の業を見つめながら、時を超えて生きる美少女。
「おろち」の正体とは?


おろち 1 (1)

小松左京の短篇に「比丘尼の死」というのがある。
比丘尼は山中に庵をむすび、若く美しいまま千年の時を生き続けているらしい。
通り過ぎるのは、いつの世も闘って傷ついた男たちである。
男たちに体を与え、世話をし続けている。
比丘尼からは、甘い香りが漂ってきそうだ。

楳図かずおの「おろち」の場合、人間の宿業が放つ強い匂いを嗅ぐと現れるようだ。
「おろち」は物語の語り手であり観察者であるが、ときに事件に介入する。
人の心を読み、癒しの力をもって、どうにもならない人間の性(さが)と関わり導く。

ひとり地獄に堕ちることに耐えきれず、姉の顔を焼いた妹の話。戦時に人肉を食った「罪」が息子に知れ山へ行く男の話など、ストーリーに容赦はなく、人間がぎりぎりまで追い込まれて行く。

観察者「おろち」は、おそらく作者・楳図かずおの化身である。
時を超えて生きる美少女になって、人間を存分に見つめ続けたいというのが、作者の奥底に秘められた願望なのかもしれない。
楳図かずおには、怖がる女の子、虐められる女性に自身を重ねて感じているかのような作品が多い。女性化願望の作品への昇華としての「おろち」は、やはり美少女でなければならなかったのかもしれない。

「おろち」楳図かずお 
「週刊少年サンデー」1969年~1970年連載

男組 

高校生ファシスト神竜剛次の覇道の前に、
アウトサイダーの流全次郎が立ちふさがる。

男組 (13)

兄弟姉妹型研究者の畑田国男は「弟の力」の中で、家族の中でのポジションが性格の形成に強い影響を与えると言っている。
「男組」の主人公、流全次郎と神竜剛次も「次」の字を名に持つ弟である。原作者の雁屋哲がこの二人を弟に設定していることにどういう意味があるのかはわからないが、二人とも外の世界では強いリーダーシップを発揮する。

青雲学園は、神竜剛次とその部下たちによる恐怖政治の支配下にあった。校長は学園を神竜の手から解放するために、関東少年刑務所にいた流全次郎を特別入学させる。流は手錠をはめたまま学園に乗り込み、神竜と対決する。流の手錠は、父親殺しの冤罪がはれるまでは外せない、自らにはめた鉄の枷だった。

「大衆はブタだ!」
神竜剛次は、詰め襟の制服に日本刀といった戦前の青年将校のような格好をし、その思想もファシズムそのもの。一方の流は関東少年刑務所のユニークな仲間たちを率いる自由人である。
知能指数180の伊庭、武芸十八般の高柳、大泥棒の大杉、動物使いの長浜 、怪力の岩瀬ら「五家宝連」は、才能とエネルギーを持て余し、使うべき方向を見失っていたが、流と出会い、神竜という巨大な敵を得ることで男の生き様を知る。やがて流たちは、それぞれの宿命に押されるように、神竜の背後にいる「影の総理」との決戦へと向かう。

太極拳、八極拳、螳螂拳といった中国拳法による闘いのシーンがよかった。池上遼一の描く悪役キャラ(奇妙な敵たち)は、ほんとうに不気味でインパクトがある。

雁屋哲は「男組」で得た印税をすべて美食につぎ込んで、次作「美味しんぼ」を書いたという。

「男組」作・雁屋哲 画・池上遼一
「週刊少年サンデー」1974~1979年連載

鉄人28号 

旧日本軍が一発逆転を狙って開発した秘密兵器。
鉄人28号は、大和魂の塊だった。




鉄人28号が生まれたのは1956年。
「鉄」は巨大な基幹産業であり、敗戦国日本の復興の象徴だった。
鉄人が吠える「ビルの街」「夜のハイウエイ」こそ、整いつつあったインフラと、経済成長の証だった。

主人公の金田正太郎は少年探偵で、鉄人を動かす「リモコン」を手に入れる。
「敵に渡すな大事なリモコン」
と主題歌にもあるように、鉄人は「リモコン」を手にした者によって操られる。
鉄人そのものには、正義感も国家への忠誠心もない。
あるのは巨大な鉄の塊としてのタフさと、とてつもないパワー。
鉄人とは、科学技術や巨大産業のメタファーのようなもので、使う人によって悪にも善にもなる恐ろしい力だということかもしれない。

2005年にはニューバージョンのアニメが放映された。
全体にセピア調の、物哀しいトーンに彩られた感じがよかった。
鉄人の顔つきも精悍さが増し、とくに目の力が強くなっていたような気がする。
背景には工場群の煙突がみえ、昭和30年代の雰囲気が出ていた。

「鉄人28号」 横山光輝
1956年~ 光文社「月刊少年」連載 

マジンガーZ 

巨大ロボットの頭部に乗り込む新しいパターン。
マン&マシン一体型の闘いに意味があった。

Zマジンガー 1 (1)

SFアニメ・漫画の世界では、ヒューマノイド型の二足歩行ロボットが「科学の子」だった時代から、「鉄人28号」「ビッグX」「ジャイアントロボ」など、少年ヒーローが自分で遠隔操縦する巨大ロボットの時代へと移り変わっていった。ロボットが巨大化したのは高度経済成長時代の中で、周囲の建物もどんどん巨大化していたからかもしれない。

「マジンガーZ」は、遠隔操作ではなく巨大ロボットに直接乗り込み、マン&マシンの一体感を深めたところが新しかった。のちの時代の「新世紀エヴァンゲリオン」などは、さらにシンクロ率とか訳の分からない理屈が加わったりして、悩めるヒーロー、ヒロインたちの心の状態によってエヴァ機が強くなったり弱くなったりする。

ミケーネの遺跡から古代の巨大ロボット群を発見したドクターヘルは、世界征服の野望を抱くようになる。これに対し、兜十蔵博士は光子力を動力とした超合金ロボット・マジンガーZを創り、孫の兜甲児をしてドクターヘル一味が送り出してくる機械獣に立ち向かわせる。

弓助教授の娘、「弓さやか」がいい。いまはあまりいない古いタイプの女の子だ。
永井豪の漫画の魅力は、女性キャラクターに依るところが大きい。

「マジンガーZ」永井豪 集英社「週刊少年ジャンプ」1972年より連載

高校生無頼控 

70年安保の傷を背負い、兄を探す旅に出たムラマサ。
実は単なる軟派無宿だった。


高校生無頼控(第2巻) バップ 俺たちは天使だ!(10)

ムラマサこと村木正人の兄は過激派の学生だった。
兄が逮捕されたことにより、母は自ら命を絶つ。
ムラマサは、母を死に追いやった兄を斬るために鹿児島から上京する。

無頼の高校生ムラマサは、ガクランに木刀という時代がかったスタイルだが、頭も切れるし、腕も立つ。おまけに口も達者だった。
金欠の無宿者のため、ふんどし姿で奇行をおこない、女の注意をひく。
きっかけが掴めれば、急に多弁となり、不思議な説得力のある理屈をこねて女の脚を開かせ、一宿一飯にありつく。

次々に出てくる魅力的な女を落とす、ムラマサの機知に富んだ会話や行動が面白い。
旅本来の目的がなんだかわからなくなってくるが、青春の旅ということでいいのではないか。

映画版では沖雅也がムラマサを演じた。
沖雅也はのちに「おやじ、涅槃で待つ」と言い遺し、京王プラザホテルの最上階から飛び降りた。享年31歳だった。

「高校生無頼控」 作・小池一夫 画・芳谷圭児 双葉社「漫画アクション」

子連れ狼 

裏柳生が放つ刺客たちを、
子連れの業刀「胴太貫」が斬る。


子連れ狼 全28巻 小池一雄・小島剛夕/作 スーパー・プレミアム・コレクション子連れ狼 第八巻 2 ★20%OFF★

丹下左膳は隻眼隻腕、月影兵庫は猫が弱点だが、子連れの剣客という設定には正直恐れ入った。
命のやりとりにおいての緊張感が一層高まり、業刀・胴太貫(どうたぬき)の凄みが増す。

拝一刀(おがみいっとう)は、水鴎流の達人で公儀介錯人だった。
だが、柳生一族の謀略によってお家断絶、妻のあざみを失い、幼な子の大五郎を連れて諸国を放浪する。

拝一刀を屠ることに執念を燃やす裏柳生の総帥・柳生烈堂は、凄腕の刺客たちを放つ。
これを迎え討つ拝一刀は、修羅の道を覚悟し、自ら「冥道魔府」に入ることを宣言する。行き着く先は人間の血飛沫が舞う無限地獄しかない。
刺客たちはみな強烈な個性と信念、そして、それぞれの生き様を持っている。それぞれの宿命を背負っている。そこから逃れえない自分を熟知している。だからこそ、拝一刀との全生命力を懸けた果たし合いの中で、確信をもって斬られゆく。

激しい屠り合いを通して、しまいには柳生烈堂その人が、拝一刀に奇妙な愛を抱くようになるのが不思議だ。

小池一夫の人間を抉るストーリーと、小島剛夕の揺らぎのある絵も、まるで果たし合いをしているかのよう。

拝一刀役は、映画版では若山富三郎、田村正和、TVドラマでは北大路欣也も演じたが、魔界から来た求道者のような表情の萬屋錦之介が一番いいように思う。

「子連れ狼」作・小池一夫(小池一雄) 画・ 小島剛夕 
双葉社「漫画アクション」1970-1976年連載

あしたのジョー 

「あしたのために」という手紙から始まる青春。
闘うことでしか表現できなかった恋。


あしたのジョー(12)

「あしたのジョー」とは、ある種の強烈な恋愛ドラマだったのではないかと勝手に解釈している。

矢吹丈とブルジョアのお嬢様である白木葉子の住む世界は違っていた。
ボクシングを媒介にすることでしか接点が生まれない。甘い会話もない。いつも喧嘩腰である。ふつうの恋愛など成立しない。
ボクシングから離れた時点で、ふたりはまた別の世界の人間になる。
白木葉子は丈を援助し、闘いへとけしかける。そういう愛し方しかできなかった。

白木葉子の恋は暴力的だった。女の暴力だ。
モチベーションの下がった丈を許さなかった。
許してしまえば、接点がなくなるからだ。
丈は、いわば奴隷だった。しかし丈にも意地がある。
おのれの性と生のすべてを絞り出し、命を削りながら闘った。
自分を虐め、闘うことでしか表現できなかった。

そして最後は葉子に「矢吹くんが好き」といわせた。
しかしそこからふつうの恋が始まることなどありえない。
成就した瞬間に終わる恋だった。

丈はホセ・メンドーサとの死闘で真っ白になる。そこでこの物語は終わる。
丈は死んだのか?生きているのか?
そんなことはどうでもいい。
白くなるまで闘うことが、丈の意地であり最大の愛し方だったと思う。

白木葉子が登場するまで丈のモチベーションはいまいち低い。
ライバル力石徹も、丹下段平のおっちゃんもいい味を出しているが、丈をして獣の世界へと導く「動機」としては少し弱い。雄を獣にするのは、やはり雌、それも手の届きそうもない女神のような雌ではないだろうか。
「憎いあんちくしょう」とは、力石でもカーロスでもホセでもなく、白木葉子のことだったのかもしれない。

「あしたのジョー」作・高森朝雄 画・ちばてつや
講談社・週刊少年マガジン1968年~1973年連載
TVアニメ 1970年~1971年 フジテレビ系

がんばれ元気 

人間は、たまには思いっきり泣いた方がいい。
「がんばれ元気」は、涙がとまらなくなる漫画。

がんばれ元気 (16)

すべてのボクシング漫画は「あしたのジョー」と比較される宿命にある。
「あしたのジョー」を超えるボクシング漫画は出ないだろうともいわれていた。
「がんばれ元気」がジョーを超えているのかどうかはわからないが、漫画史に残る名作であることは間違いないと思う。

人間は時に思いっきり泣いた方がいい。
「がんばれ元気」は、自分でもびっくりするほど涙が出てきてとまらなくなる漫画だ。
だから、人前では読まないほうがいいのかもしれない。

母は元気を産んですぐになくなっていた。
父は元気のために自分がひとつだけしてやれること、すなわちボクシングを教えた。
プロに復帰し、闘う姿を元気に見せた。
元気は素直に喜び、父が世界で一番強いと信じていた。

だが、若き天才・関拳児に倒された。しかも関は、闘う前から父を愚弄していた。
関は元気までをからかい、せせら笑った。元気は泣きながら関に飛びかかった。
関は5歳の元気を容赦なく殴った。
幼い元気の心に、くやしさだけが深く刻まれた。
試合のあくる日、父は死んだ。
関は元気のもとに現れた。元気は殴りかかったが関は抵抗しなかった。
関は元気に謝罪した。元気はなにかに気づいた。勝負の世界のことかもしれない。
元気は関を許したが、以後、元気の命は、関を追うためだけに使われることになった。

元気は母方の祖父母に引き取られ、素直で明るい子に育っていった。
祖父母は元気を大変可愛がった。元気は祖父母を心配させないよう、密かにボクシングのトレーニングを続けていた。誰にも気づかれないよう、誰からも教わることなく、父の夢だけを追っていた。
関は世界チャンピオンになっていた。

中学時代、元気の夢を知った芦川先生は三島を紹介する。
三島栄司は元ボクサーで、荒んだ生活をしていた。芦川先生のかつての恋人だった。
元気は三島のもとでプロの技術を学ぶが、三島は傷害で懲役にいく。
元気は三島に誉められるためにトレーニングを積んで帰りを待っていた。
三島と芦川先生の関係がせつない。

やがて元気は中学を卒業し、東京へ向かう。
たったひとりの孫を失う祖父母がせつない。
元気もそれはわかっている。しかし元気は関を倒すために東京へ行く。
東京では、それぞれの想いを秘めボクシングに夢をかける男たちとの出会いがあった。

なにかこう、どういう視点で読んだらいいのか、誰に感情移入しても泣けてくる。

「がんばれ元気」 小山ゆう
少年サンデーに1976年より連載

柔道一直線 

「地獄車」は、ほんとうに効くのか。
いまだ試した柔道家はいない?

柔道一直線 (第1巻)

現実の柔道の試合は地味で、観ていて退屈することもあるが、「柔道一直線」は、必殺技による破壊的な勝負が面白い。次々に出てくるキャラクターたちは、それぞれの性格を反映した必殺技を持っている。必殺技こそキャラクターであって、登場人物と必殺技は切っても切れない関係にある。

主人公の一条直也(桜木健一)は、魚屋の倅で柔道馬鹿。
父ちゃんは一流の柔道家だったが、直也が幼い頃に亡くなっていた。
直也は、父ちゃんと昔ライバルだった車周作(高松英郎)に弟子入りする。
車は過去、柔道の必殺技「地獄車」で人を殺してしまい、以来世捨て人のような暮らしをしていた。
車は直也に鉄の下駄を履かせるなど、地獄の修行を課す。修行の過酷さは次第にエスカレートし、しまいには直也を破門、最高の好敵手を育てたりして、とことん追い込んでいく。

直也の中学時代の必殺技は「二段投げ」。
相手をいったん頭上高くまで持ち上げ、遠くに投げると同時にそれを追いかけて、もう一度投げるという技。高校時代は「新・二段投げ」や、相手を一瞬催眠状態にしておいて、その隙に投げるという「真空投げ」などもあみ出す。

風祭右京の「十字不知火」は、敵を切りもみ状態で空に飛ばす技。九州の豪傑・城山大作は「大噴火投げ」で、相手を宙に浮かし、連続噴火で失神させる。さらに力石竜の「岩石崩し」、ロバート・クルスの「ライナー 投げ」など、退屈させないアイデアが凄い。技を掛けるときは、みんな必ず、技の名を「宣言」してから掛ける。

ドラマ実写版では、高松英郎に加え、牧冬吉(中学時代の先生役)、名古屋章(高校時代の先生役)、近藤正臣(結城真吾役)などの脇を固めるいい役者が揃っていた。
結城真吾は、いきなりピアノの鍵盤に跳び乗って、足で「ねこふんじゃった」を弾いたりした。意表を突くこのシーンは、ドラマ全編を通してもっとも話題となり、人々の記憶に刻まれた。近藤正臣は20代後半での高校生役。このドラマでブレイクした。

主人公が修行し、試練を乗り越えて成長する。闘いを通して友情を育み、次なる試練へと立ち向かっていく。そこに師弟や父子の厳しすぎる関係式が絡んでくるところなど、物語の構造やテーマは、ほぼ同時期に書かれたおなじ梶原劇画の「巨人の星」と共通するものが多い。これもスポコン漫画の原型のひとつといえる。

「柔道一直線」
原作・梶原一騎 画・永島慎二、斎藤ゆずる 「週刊少年キング」1967年~1971年連載 
テレビドラマ 1969年~1971年 TBS系

「座敷女」 

「座敷女」

「座敷女」の正体など、
知らない方がいいのかもしれない。

座敷女

道を歩いていると突然誰かに背中を刺されるかもしれないし、高層マンションの廊下からいきなり突き落とされるかもしれない。
現代の恐怖には「因果関係」がない。とち狂った人間がたくさんいて、いつなんどき自分に関わってくるかもしれないというだけだ。

主人公の森ヒロシはアパートに一人住まいの大学生。
夜中に、隣室のドアをしつこく叩く音が聞こえるので覗いてみると、妙な女が立っていた。
女は長身で髪も異様に長く、トレンチコートを着て紙袋を持っていた。
女と目が合った。ヒロシは女と関わってしまった。
こんどはヒロシの番だった。
女はあれこれと理由をつけて、ヒロシにとり憑こうとする。
いつの間にか合鍵を作って部屋に上がり込んでくる。
女は凶暴で、ヒロシの友人も彼女も襲われる。いくら逃げても、どこまで逃げても、追ってくる。女の行動は常軌を逸し、次第に化け物じみたものになってくる。

女が残した精神病質的な絵。
部屋一面にびっしりと記された怨念の言葉。
櫛に絡んだ長い髪の毛、噛みちぎられた赤い爪、太い注射針などの小道具が、いちいち気色悪い。

ヒロシと友人は、女の正体を突き止めるために自分たちの故郷まで戻るが結局は朦朧となる。
女は別世界の住人のようで、話も噛みあわないし、どんな説得も通じない。

座敷童子(ざしきわらし)は、家に憑いて時々悪戯をする妖怪らしい。
座敷童子が出ていった家は没落していくというが、「座敷女」に憑かれた部屋は、不気味な廃墟となるのかもしれない。

望月峯太郎「座敷女」 講談社ヤングマガジン 1993年,第13号-第24号掲載
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