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度胸星 

超立方体からみると、
われわれは平面に生きる「紙人間」にすぎない。


度胸星 (01)

NASAが極秘に火星へ送り込んだチームからの連絡が途絶えた。
不可思議なことが起こっているらしい。救出オペレーション計画に日本のNASDAも参加し、宇宙飛行士を一般公募することになった。地球と火星は、公転軌道上、約2年2カ月周期で近づく。救出船は、このときを狙って打ち上げられる。

数万人の応募者の中から選ばれた訓練生たちは変わり者ばかりだった。
個性の強い人間たちだった。
まず主人公の度胸はトラックの運転手で、誰よりも遠くまで荷を運びたいという夢を持っている。普段は温厚な青年だが、土壇場に追い込まれると、鬼と化し、超人的な根性をみせる。

女性訓練生の茶々は感覚が鋭敏すぎて、他人が煩わしい。すべての生き物のエゴイズムを嫌悪している。そういうわけで、命のまったくない場所、すなわち火星に行きたいという。
強靱な意志力を持つヤクザの息子、恐ろしく要領のいい青年、中年物理学者の坂井夫婦など、それぞれのキャラクターが濃い。バランスの取れた優等生はいない。欠陥は多いが、何かが異常に突出した人間たちばかりだ。
相当奇妙な漫画だが、飛行士たちの選別テストや訓練については不思議なリアリティがある。
精神的、肉体的に極限の状況を創出し、人間の弱い部分を問い詰めながら、数万人の応募者の中から宇宙へ行けるものだけを選別していく。

NASAからの要求は厳しかった。
NASAは直感したのかもしれない。宇宙はなんでもありなのだと。

その頃、火星の居住モジュール内で救出を待つNASAの飛行士たちは、奇妙な超立方体に虐められていた。超立方体は変幻自在で無敵である。人を飲み込んで「裏返し」たり、衛星フォボスに瞬間移動させたりする。

超立方体からみると、われわれは平面に生きる「紙人間」にすぎない。立体的な視点がないのである。
「人間は、いつまでも地球にへばりついていてはいない」
と登場人物の一人、物理学者の坂井はいう。

新しいビジョンが必要なのかもしれない。

度胸星(全4巻)山田芳裕 
小学館ヤングサンデー 2000年- 連載
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赤色エレジー 

幸子の幸はどこにある?
林静一が、薄幸の女を描く昭和ロマン。


 淋しかったからくちづけしたの―林静一傑作画集 少女編淋しかったからくちづけしたの―林静一傑作画集           
        赤色エレジー 林静一

エレジーとは哀歌のこと。
伝説の「月刊漫画ガロ(青林堂)」に、1970より連載された林静一作品。
幸子と一郎の同棲生活を描いた、芸術の香りがする漫画。
ふたりはアニメの仕事をしている。アニメーターといえば、いまでも貧乏の代名詞だ。
好きでやってるんだから、夢があるんだからいいじゃないか。

「赤色エレジー」は、ある種の「画集」として読むのがいい思う。
ラーメンを啜りながら、急いで読んでもつまらない。
独特のコマ割による「心象風景」のイメージを、ゆっくり味わうのがいい。

昔、「哀愁のヨーロッパ」を奏でたカルロス・サンタナは「泣きのギター」といわれたが、林静一は「泣きの絵画」とでも呼びたい。女の泣く表情が、せつなくて、せつなくてたまらない。

あがた森魚は、「赤色エレジー」の雰囲気をそのままに、同名の歌を書いた。
「昭和余年は春も宵……」
こういうイメージが膨らむ漫画は、林静一だからこそ描けるもの。

三つ目がとおる 

おでこの絆創膏が剥がれ第3の目が晒されると、
破壊的人格が出現する。


三つ目がとおる (1)

写楽保介(しゃらくほうすけ)は中学生だが、体格も知能も幼児並である。
いつも、おでこに絆創膏を貼っているなさけないやつで、いじめられっこでもあった。
だが、その絆創膏が剥がれ、第3の目があらわれると、人格が一変する。
急に目つきが鋭く妖しくなる。
破壊的人格の中に、強靱な頭脳と巨大なパワー、そして古代の知恵を秘めた超人に変身する。
というよりも、こっちの方が写楽のほんとうの姿だった。

写楽は古代に生きた三つ目族の末裔であり、第3の目は超能力を発揮するための特殊な器官だった。
三つ目族には現代とは異なる科学技術、知識の大系があるようで、奇妙な機械を自製したり、呪文を唱えてコンドルを呼び出したりする。

写楽は毎回、奇妙な事件に遭遇する。
そこには、古代遺跡にまつわる謎が絡んでいる。
同級生の和登千代子とともに、難事件を追う。
ピラミッドパワーやオーパーツ、古代の超破壊兵器などの「定番アイテム」が毎回でてくるが、写楽の目を通して手塚治虫独自の解釈が展開される。

手塚特有の、いのちの弱さ、はかなさ、そして大切さといった一貫したテーマも生きている。

「三つ目がとおる」 手塚治虫
「週間少年マガジン」1974-1978連載

どろろ(どろろと百鬼丸) 

親が魔物に差し出した、
自分の身体の「48箇所」を取り戻す旅。

どろろ (1)

時は、戦国……。
醍醐景光は、天下を獲るための魔力を得ようと、やがて生まれてくる実子の身体の48箇所を、それぞれ48匹の魔物に差し出す。
48箇所が欠損して生まれた男子は、忌むべき子として川に流されるが、医師・寿海がこれを拾って育てる。子は百鬼丸と名付けられ、義手、義足などを与えられて成長した。
やがて百鬼丸は、妖刀を腰に差し、義手義足に武器を仕込み、失われた過去を求めて旅に出る。
旅の途中、百鬼丸の運命が呼び寄せるのか、妖怪や死霊たちと次々に遭遇する。

百鬼丸は魔物を倒すことで、自分の身体の一部が取り戻せることを知る。

一方、親を失い少年盗賊(実は女の子だった)となっていたどろろは、旅先で出逢った百鬼丸のただならぬ雰囲気に魅せられたのか、次第に彼をつけ回すようになる。
百鬼丸と、どろろの奇妙な旅は、やがて失われた過去の謎へと向かう。

手塚漫画は「生きること」についてのメッセージが強い。
まず「とにかく生きろ」という。
そして相手も「生きている」ことを知れという。
さらに、どう生きればいいのかについても考えさせられる。
この漫画は、途中から「どろどと百鬼丸」に改題されている。
百鬼丸の方に物語りの主軸がおかれた展開なので、改題したと思われる。

連載開始から40年後となる2007年に、妻夫木聡、柴崎コウ主演の映画版が公開されるらしい。

「どろろ(どろろと百鬼丸)」手塚治虫 1967年-「週刊少年サンデー」連載

オークションハウス 

妖しくて、豪華絢爛。
人間の怨念が渦巻く、国際アートビジネスの世界。


オークションハウス 18 (18)

幼少の頃、フェルメールの「レースを編む女」にまつわる盗難事件で両親を失った男が、犯人を追って、国際アートビジネスの世界に乗り込む。
稀代の贋作者ファン・メーヘレンの息子に弟子入りし、創作技術や美術史を学んだのち、英国のオークションハウス・オリバー社のマネジメント・ディレクターに。世界一のMD「柳宗厳」として名を売り、コネクションを広げながら、美術界の暗部へと潜入していく。

小池一夫の「これでもか!」と、執拗に繰り返される官能的でスリリングなストーリーを、叶精作の絵がさらに「濃い」ものにしている。
美術界にまつわる様々歴史的エピソード、美に取り憑かれた人間たちの欲望や怨念の物語が面白い。アートビジネスの歴史は、贋作との戦いの歴史でもあった。

バチカンから英国王室、メトロポリタン美術館、旧ナチスの残党、ロシアンマフィアまで絡んできて、話が大きくなりすぎるのは、いつもの小池流。

「オークションハウス」作・小池一夫/画・叶精作
集英社「ビジネスジャンプ」1990年~連載。

お天気お姉さん 

もし脳天気なボディコンギャルが、
お天気キャスターだったら。


お天気お姉さん(6)

90年代前半に脚光を浴びた、お天気キャスターとボディコンギャルいう、ふたつのファクターが合体したキャラ、仲代圭子。
欲望に忠実に生きるスーパーお嬢様の、優雅で退廃的ともいえる日々の生活を覗き見るような快感のある、エロティックなギャグ漫画。

圭子は、放送本番中のパンチラは当たり前。脱いだり、本気で欲情したりすることで視聴率を稼ぎ出す。数字さえ獲れるのなら、何をやってもいいと突っ走る圭子に、あちこちから苦情が寄せられるが、そんなクレームの嵐に対し、行動をさらにエスカレートさせて対抗する。最後はドタバタで終わることが多いが、滅茶苦茶をやった後の圭子が時々みせる、ちょっと寂しげな表情がよかった。

80年代後半のディスコの代表格は六本木のマハラジャ、90年代前半は芝浦のジュリアナ東京。
ユーロビートの地響きに、めくるめく極彩色の照明、女の汗と化粧と酒の匂い。
ボディコン、ワンレン、ジュリ扇、お立ち台……。
猛り狂ったような女たちの時代とは、一体なんだったのだろう。
それこそ嵐が通り過ぎるように、一気に消え去ったのも不思議だった。

「お天気お姉さん」安達哲 講談社「ヤングマガジン」1992年より連載

同棲時代 

いつも傷つけあって暮らした二人。
上村一夫絵画のせつない世界のなかで。


神田川 しなの川 (第1巻)

1972年というより、昭和47年といったほうが雰囲気がでるのかもしれない。
双葉社の「漫画アクション」で「同棲時代」の連載が始まった。

22歳の今日子は商業デザイナーで、23歳の次郎はイラストレーター。
ふたりは、木造のちいさなアパートの部屋で、寄り添って暮らしていた。
ささいなことで傷つけあい、そしてまた強く愛しあい、なぐさめあう。
世に認めらない若者の情念は、深く濃い。何度愛しあっても満たされない青春。
やがて、甘くせつない「同棲時代」は崩壊してゆく。

喜多条忠の書いた「神田川」が、南こうせつの作曲と歌でヒットしたのが昭和48年。
世の中はほんとうに「同棲時代」だった。
「三畳一間のちいさな下宿」で、傷つけあい、愛しあった彼らはいま、どこでなにをしているのだろうかと想う。


空手バカ一代 

つのだじろうが描くと、
空手の構えにも妖気が漂う。


空手バカ一代 (1)

極真空手の創始者、伝説の空手家である大山倍達の半生を梶原一騎が力技で書き抜いた。

特攻隊の生き残りがひとり、「焼け跡・闇市」の日本に帰ってくる。
彼には、空手しかなかった。
極真の技を開眼するために、片方の眉だけを剃って、山ごもりの荒修行。
まだ戦争の恨みが残る、敵地米国での武者修行。
そしてゴッド・ハンドと呼ばれる空手超人の誕生。
梶原の大胆な脚色も加わって、世に空手ブームを巻き起こした。

素手での「自然石割り」「牛殺し」「ビール瓶切断」など、数々の逸話が織り込まれたストーリーは、「生きた伝説」となり、大山の存在を巨大なものにした。

この漫画は、途中で作画家が替わっている。
若き空手家時代は、つのだじろうが描く。
つのだじろうの絵が醸す独特の雰囲気が、格闘漫画に不思議な味わいを与えていた。
闘いのシーンでは、空手の構えにも、ただならぬ妖気のようなものが漂っていた。

のちに極真会館を創り、弟子たちを育てる頃の話は、影丸譲也が作画を担当した。
こちらは、貫禄のでた大山館長らしい雰囲気がある。

1971年より、少年マガジンにて連載 

シャコタンブギ 

かつて地方に棲息した、
古き良きヤンキーたちのグラフィティ。


シャコタン・ブギ 3 (3)

シャコタンとは、車高が低い(サスペンションを短く切った)クルマのこと。
段差を乗り越えるとき、ボディを擦ったりするけど、地を這うようなスーパーカースタイルが、なぜか格好いいといわれていた時代。

頭の中は、クルマと女のことしかなく、目が合えば喧嘩。
たとえば青春とは、馬鹿げた罪つくりの時代なのかと思わせる古き良きヤンキー漫画。
地方色ゆたかで、登場人物たちはみんな「ちゅーがやきにぃ」と坂本龍馬のような土佐弁丸出し。
ストーリーはだいたい、コージと先パイがナンパして問題を起こすか、凶暴な不良が現れて騒動を起こすか、どちらかの繰り返し。
地方ヤンキーの日常を繰り返し描くことが、なぜ面白いのかというと、そこにリアリティがあるから。見栄を張りに東京から帰ってくる元田舎のヤンキー、町に一人はいる誰でもOKの女の子。小さな町の中にも、モテるヤツ、もてないヤツ、喧嘩の強いヤツ、弱いヤツという階級があり、それぞれが、それぞれなりに、懸命に生きてバカをやっている。

楠みちはる作 講談社「ヤングマガジン」にて1985年より連載

自虐の詩 

世の口うるさい論客たちも絶賛した、
「きつい不幸」で笑わせ、泣かせる4コマ。


自虐の詩 (上)

連載されたのは、漫画誌ではなく、光文社の「週刊宝石」(1985年~)。
一般週刊誌連載の4コマ漫画といえば、世相を斬るギャグなど、軽く読める息抜き漫画が多い。
が、「自虐の詩」は異質だった。
幸江とイサオの「共依存」をテーマに、読者の精神をえぐりながら笑わせるという、とんでもないものだった。

亭主のイサオは働きたくないのか、誰も雇ってくれないのか知らないが、とにかく働かない。
そんなイサオから、ときに暴力をうけながらも、幸江は尽すことをやめない。
イサオは時々、幸江に優しい。ごくたまにしか見せない優しさだからこそ、不思議に光ってしまう。

そんな男から離れられない幸江という女が、どのようにして出来上がったのかを探るために、ストーリーは過去へと遡ったりする。
幸江の少女時代に、不幸を呼び込んでしまう素地がつくられていたのだった。

評論家の呉智英をはじめ、世の口うるさい論客たちが、なぜかこの漫画を絶賛した。
彼らの「自虐の詩」評も、あわせて読むといいかもしれない。

作者の業田氏は「ゴーマニズム宣言」の小林よしのりとも交流があり、よしりんに難解な哲学書を薦めたりしているという。

業田氏によると、自虐とはもの凄く気持ちのいいものらしい。

「自虐の詩・上下」業田良家


ハレンチ学園 

70年安保、大坂万博の時代に、
全国の学校で「スカートめくり」を流行らせた衝撃漫画。

ハレンチ学園(ワクワク校外編)

永井豪はむかし、ハレンチ学園を描いた動機を語っていた。
ある日書店で、小学生がエッチな本を立ち読みしていたのを目撃、エッチな漫画を描けば必ず売れると思ったということ。

メジャーな少年漫画誌で、堂々とエッチな漫画を連載し、それが爆発的なブームになったのだから、世間の反発も大きかった。マスメディアは猛烈に批判し、全国のPTAがヒステリックに騒いだ。PTAがノイジーな保守派おばさんの代名詞となったのは、この「事件」からかもしれない。

「あんな子がうちの学校にもいれば」と全国の小・中学生に思わせた柳生みつこ(十兵衛)は、男たちの性欲の餌食となりながらも明るくたくましく生きる、永井豪が一貫して描く女性キャラの原型のような感じ。みんな山岸くんになりたかったに違いない。
ヒゲゴジラ、マルゴシ、パラソルなどの異様な教師像もかなり新鮮で、「学校の先生」のイメージをぶち壊した。いやもうこの時代には、すでに「教師の権威」などなくなっていたのかもしれない。

「ハレンチ大戦争篇」では、キャラたちの多くが戦死し、学園崩壊へ。
世間からの圧力で押し潰されそうなこの漫画を、作者自らの怒りで爆発させたような印象だった。

売れる漫画を狙って描いたという「ハレンチ学園」だが、永井豪のテーマは生きている。
その後の「デビルマン」「バイオレンスジャック」「凄ノ王(すさのおう)伝説」といった名作シリーズでも、一貫して性と暴力を描き続ける。
結局、そういうものが好きなんだと思う。

永井豪作品「ハレンチ学園」 
集英社「少年ブック」のちに「少年ジャンプ」、週刊化され「週刊少年ジャンプ」に1968年より1972年まで連載。

蔵六の奇病 

なぜ、こんなに怖く、哀しい漫画を描くのか?
日野日出志さんに問い詰めたい。


蔵六の奇病 オンデマンド版 [コミック]

ある日、蔵六は奇妙な病に憑りつかれた。
体に異様な出来物があらわれ、それが次第に増えていく。
村びとたちから、奇病が感染するのではないかと恐れられ、蔵六は村を追われる。
寂しく山に入った蔵六の姿は、次第に人間のものではなくなっていく。
彼は一匹の妖怪のような生物となり、やがて絵を描き始める。
おのれの体から膿を絞り出して、極彩色の絵を描き始める。

孤独となり、生命の火が消えかかっても、人間はなにかをしないと生きられない。
創造することこそ、神から与えられた人間の特権なのかもしれない。

アウトサイダー東宗介 

ビジネスの裏も表も知った男を、
最高級のヘッドハンターが迎えに来る。

アウトサイダー東宗介 2 (2)

アウトローとは法の外で生きる人間、アウトサイダーとは体制の外で生きる人間のことである。

母ひとりに育てられた東宗介は、もとよりエスタブリッシュメントではない。
東大からも追放されたためエリートにもなれず、アウトサイダーとして生きることを決意した。
学生ビジネスで稼いだ金を友人に持ち逃げされ、脱税を摘発されて借金を抱え込む。
バブルの帝王に拾われ、ディスコの経営で手腕を発揮。学問と実践、帝王のもとで不動産業の修行を積み、ビジネスの裏と表を知ったころにバブルは崩壊した。

数年後、仲間とともに金融屋を営んでいたころ、バックに巨大な組織をもつ企業舎弟に食いつかれる。
これを乗り越え、バブルの帝王の後始末をしたあと、無一文となって昔と同じように本郷の下宿で思案していたとき、高級ヘッドハンターを名乗る謎の老人が迎えに来る。
謎の老人からの依頼で、内紛を抱える大手部品メーカーや、ネットベンチャー企業に乗り込み、企業を再生することで、やがて本当のビジネスの道を発見する。

日本経済を好き勝手に動かしているのは、銀行をはじめとする大企業や官僚である。
国の大失策でバブルを生みだし崩壊させ、なんの責任もとらず、銀行には公的資金を投入する。救われた銀行は「貸し剥がし」をして中小企業を切り捨てた。

1999年より、集英社ビジネスジャンプに連載。
作・周良貨/画・森田信吾


バビル2世 

「誰かが僕を迎えにくる」パターン。
超能力少年が、悪の組織と戦う。

バビル2世 DVD-BOX

ハリーポッターの最新刊「ハリーポッターと謎のプリンス」も人気らしいが、こういうパターンは昔から手を変え品を変え繰り返されたきたようだ。

誰かが僕を迎えにくる……。
5千年前に不時着した宇宙からの「訪問者」が、とんでもない科学の遺産と、超能力者の血筋を残した。
その遺産を受け継ぐ「後継者」は、「訪問者」により近い体質をもったものに限られた。
コンピュータは世界中にアンテナを張り巡らしながら5千年間待っていた。真の後継者にふさわしい血を持つ者がうまれるのを。そしてついに、日本の浩一少年を迎えに巨大なしもべがやってきた。

浩一は、怪鳥ロプロス、海神ポセイドン、黒豹ロデムの三つのしもべと、バベルの塔を受け継ぐことで、5千年前の先祖の血筋を目覚めさせていく。
ところが、もうひとり、過去に後継者候補となっていた同じ血筋を持つ「ヨミ」が、巨大な悪の組織をつくり、世界制覇をもくろんでいた。

先進のテクノロジーと超能力が縦横にからんだアクションが、非常に新鮮だった。
超能力者ユリゲラーの来日が1974年、そのあと清田益章も登場し超能力ブームが巻き起こった。

1971年に少年チャンピオンで連載開始、TVアニメは1973年から放映された。横山光輝作品。


監査役・野崎修平 

監査役が主人公の漫画など、
かつてあっただろうか?

監査役野崎修平 (11)

ある銀行の監査役の実体は、「閑査役」だった。彼が来る前までは……。
取締役を引退し、会社で余生を送る人ばかりが集まる監査役室の住人となった40代の元支店長、野崎修平。

監査役とは本来、経営の監督者。会計監査を始め、コンプライアンス(法令順守)とガバナンス(企業統治)実現のための重要な職務を担うもの。いざとなれば、代表取締役を訴えることもできるらしい。
野崎修平は、監査役としてサラリーマン人生の余生を送るのではなく、「仕事」をする。銀行の「体質」そのものに切り込む。そのことで、バブル時代から銀行の底に溜まっていたヘドロが浮上してくる。
総会屋と縁を切り、不正融資、不良債権飛ばしをあばき、銀行を解体、再生へと導く。

原作者の周良貨氏は、バブル時代に銀行がやってきたことに対し、相当な怒りを抱いているようだ。書くことのモチベーションが高いと、ドラマにも勢いが出てくるのかもしれない。

物語の舞台となっている「あおぞら銀行」という名の銀行が、現実社会でも生まれてしまった。

作・周良貨/画・能田茂

この女に賭けろ 

女性総合職第一期。
静かな「度胸」のある女銀行員。


この女に賭けろ(5)

男は度胸、女は愛嬌というが、女にはもともと度胸がそなわっているから、そこに愛嬌をそなえなさいということだと思う。

女性総合職の第一期採用組の原島浩美が主人公。
支店の渉外課から本店業務開発部副参事、支店統括部参事、ニューヨーク支店長へと出世していくサクセスストーリー。
この漫画には、取材だけでは得られない「銀行員の匂い」のようなものを感じる。
すでに幼児化している銀行のトップたち、支店業務の辛さ、銀行員ひとりひとりの生活や心の奥底まで覗かせてくれる。

と、思ったら原作者の周良貨氏は元銀行員とのこと。

作・周良貨/絵・夢野一子 講談社

票田のトラクター 

秘書の視点からみた政治の奥の奥。
なんともリアリティのある票田漫画。

「票田のトラクター 全4巻」+「票田のトラクター 五輪見参 全6巻」+「新票田のトラクター 全...

漫画に登場する政治家は、権力を振りかざして威張り散らしたりするようなステレオタイプが多い。が、「票田のトラクター」は政治家を生身の人間としてとらえ、おかしみのある人間ドラマをみせてくれる。

票田買い、裏口入学の枠、就職斡旋の枠、議員宿舎の割り当て、怪文書の扱い方、スキャンダル合戦……。週刊誌には書かれていないような国会議員の「実体」が描かれている。スキャンダル合戦は非常に複雑で、奇々怪々。裏の裏のそのまた裏まである。よく流れを掴みながら読まないと、意味がわからなくなる。

主人公の筒井五輪は、「先生」をいつの日にか総理にするために奮闘する。
その過程で自分のふところに入ってくるものも、ちゃっかり確保し、実家の印刷屋を株式会社にしてビルを立てたりする。

原作者のケニー鍋島氏は政治ジャーナリストの渡辺乾介氏。



重役秘書リナ 

どこか、のほほんとした美人秘書リナ。
銀行秘書業務完全マニュアル漫画。

重役秘書リナ 4 (4)

都市銀行の専務秘書「リナ」の、ボスを頭取にするための奮闘日記。
専務の客それぞれの茶の好みから、奥様の趣味まで……。
銀行の重役秘書というのは、つよい母性がないと務まらないような気がしてくる。

銀行の本店最上階の「空気」をよく伝えている。
秘書同士、他の女子行員との人間関係も、女性向け漫画らしく「濃い」ものがある。

作・今野いず美/絵・楠木あると

愛と誠 

愛は平和ではない。
愛は戦いである。


愛と誠 全16巻 ながやす巧/画 梶原一騎/作

「愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである。わが子よ、この事を覚えておきなさい」-ネール首相の娘への手紙より

「愛と誠」の物語は、インドのネール首相の手紙文(らしい?)の引用から始まる。
手紙の内容こそ、この漫画のテーマであり、物語はこれを骨子に展開する。
次々に出てくる恐ろしく個性的なキャラクターたちも、みんなそれぞれの愛のために戦う。ひじょうにわかりやすい。

財閥令嬢の早乙女愛は幼い頃、蓼科のスキー場で太賀誠に命を救われた。
その時、誠は額に生涯消えない傷を負う。
この傷が彼を歪め、ワルへの道を走らせることになる。
成長し、誠と再会した愛は、彼を救うために名門青葉台学園への編入を父に頼む。
名門校に、誠という虎が放たれることで、ストーリーは急展開する。

早乙女愛に「きみのためなら死ねる」と叫ぶ岩清水宏は、死を賭して誠との決闘に挑む。
悪の花園と呼ばれた花園実業の「スケバン」高原由紀は、誠との対決のなかで、やがて誠を愛するようになる。
由紀を慕う「影の校長」座王権太は、誠を屠るために動き出す。
物語が進む中で、人間の関係式が非常に複雑になっていくが、全員が愛のために戦うことに変わりはない。

原作/梶原一騎 作画/ながやす巧

おそ松くん 

ダヨーンのおじさん、ハタ坊、イヤミ。
強烈で息のながいキャラクターたち。

おそ松くん VOL.18おそ松くん (1)

1960年代に連載、テレビアニメ化された「おそ松くん」は、1988年にもアニメが新しく制作された。こうなると何がレトロなのかわからなくなる。原作のふんいきがレトロなのだというしかない。

おそ松くんをはじめ、六つ子のキャラクターたちは別にどうということない。絵を見ても区別がつかない。この漫画が描かれた時代、少子化問題などなく、双子、三つ子ぐらい当たり前だったと思う。それゆえインパクトのある六つ子としたのかもしれない。

特筆すべきは脇を固める意味不明なキャラたちだろう。
ダヨーンのおじさん、ハタ坊、イヤミ、チビ太……。
イヤミは嫌味で、おフランス帰りを自慢するが、センスが悪いのでどこか哀しい。
ハタ坊はいつも洟を垂らしている。蓄膿症になってもほったらかしで耳鼻科にも行かなかったのか、栄養失調気味なのかは知らないが、いまこんな子供はほとんど見ない。

チビ太はおでんが好きで、いつも串刺しのおでんを持っている。
おでんは、お田。もともとは田楽のことで串に刺してあるのが本当だろう。
作者の赤塚不二夫が好きだったからキャラに持たせたのだろうが、ああいうのは大人が酒の肴として食う物だったような気もする。

ど根性ガエル 

中学生のTシャツに張り付いた、
人面瘡のような「平面ガエル」。


ど根性ガエル DVD BOX 1

フジテレビの「ミセスシンデレラ」というドラマで、嫁役の薬師丸ひろ子が、姑役の江波杏子にいじめられ、ひとり公園で「根性、根性、ど根性~」と、つぶやくように歌っていた。
そのとき、恋の相手となる音楽家役の内野聖陽が現れる。
薬師丸ひろ子が「ど根性ガエル」をリアルで見ていたのか、脚本家あたりが見ていたのか?

この漫画は、設定そのものから飛んでいる。
ある日、中学2年生の「ひろし」が転んでカエルを潰してしまう。
カエルは根性で「ひろし」のTシャツに張り付き、平面ガエルとなって、ともに生きていく。

平面ガエルは「ピョン吉」という名だが、跳べなくなったカエルだからなんとなく切ない。
やたらに大食漢だし、怒ったら噛みついたりするところは、人面瘡のようでもある。
食べたものは、2次元の世界に折り畳まれてしまうのかもしれない。
ど根性は誰にも負けない。ピンチに陥った「ひろし」を助けたり、優柔不断な「ひろし」の恋の後押しをしたりする。

それにしても中学生のTシャツに張り付いた平面ガエル、ど根性ガエルとは……。
世界広しといえども、誰も考えないようなアイディアだと思う。
アニメ版は、南米やヨーロッパ、東南アジアでも放送されているということ。

「ど根性ガエル」 吉沢やすみ

黄金バット 

ヒーローはどこからやってくるのか?
ニヒルなスケルトン怪人「黄金バット」


黄金バット DVD-BOX PART.1

ニヒル(ニヒリズム)とは虚無主義のこと。
時代劇の「眠狂四郎」など、昔のヒーローはニヒルでなければならなかったのか。
ハイデッガー流に解釈すると故郷喪失。
何もので、どこから来るのかわからない。

黄金バットは、戦前から人気があったらしい。
紙芝居、漫画、アニメと、表現媒体を変えながら続く、恐ろしく息のながいヒーローといえる。
悪い奴らは、ナゾーとその手下たち。
ナゾーは「ローンブロゾ~」と意味不明な唸り声で人を脅すが、黄金バットは「はははははははは」と、人を食ったような笑い声とともに登場する。
ある種のパフォーマンス合戦のようなものかもしれない。

黄金バットは、たいてい無敵である。
ところが時々「暗闇バット」というのが出てくる。
これは、やたらに強い。
二人は、1万年ぐらい前の木乃伊が甦ったとかいう超越した存在で、四次元の世界で戦ったりする。

ウルトラマンやドラゴンボールもそうだが、地球を救うのはふつうの地球人ではなく、宇宙人を含む超越した存在が結構多い。
これはなぜなのだろうか。

がきデカ(こまわり君) 

むぺっと、八丈島のきょん……。
これが形而上ギャグのはじまりだったのかもしれない。


がきデカ 1 (1)

これほど、わけのわからない漫画もない。
「がきデカ」以降、漫画におけるギャグは、なんでもありの世界に突入したように思う。
そしてギャグ漫画はいまも、凄まじいスピードで進化し続けている。

主人公の「こまわり君」は少年警察官という設定で、いつも警帽をかぶっている。
「がきデカ」というタイトルもこの設定からうまれたのだろう。だが、この漫画をさすとき、タイトルは結構忘れられ「こまわり君」と呼ぶ人が多かったように思う。
2頭身ぐらいの「こまわり君」の頭の上に、さらに大きな警帽がのることで、顔のでかさが強調され、いっそう不格好な雰囲気が出ている。

どの話も、どうというストーリーはなく、日常の生活や行事の中で、こまわり君が強烈なボケをかまし、周囲がツッこみ、最後は滅茶苦茶になるという単純なもの。
こまわり君は意地汚く、自分本位で、いかにも憎たらしい小学生というキャラを追求し続ける。そうした性格がベースにあるため、ギャグそのものの不条理さが、さらに際だつといった感じ。

作者の山上たつひこは、山上龍彦名義で小説も書いている。
奈落<集英社文ホラー・アンソロジー>所収の「梢のそよぐ下」を読んだことがある。日常の中に黒い服を着た三人の女たちが見え隠れする、不気味なホラー短篇だった。

ダメおやじ 

「おやじ」が弱くなった時代を、
初めて宣言した漫画。


ダメおやじ (6)

当時、「おやじ」という存在が、なんだか弱いものになっていることに、みんな気づいていたと思う。
だが、まだ遠慮があったのか、多少なりとも幻想が続いていたのか、「おやじは弱い」と、堂々と言い放つ人はあまりいなかった。

そうした中で、この漫画の登場は衝撃的だった。
一気に時代を席巻してしまった。
ついに「おやじは弱いと言い切っていい」「おやじは堂々と嫌っていい」という風潮が生まれたような気がする。

「ダメおやじ」は平凡なサラリーマンだが、会社でも無能である。
家庭ではオニババ(妻)と娘のユキ子にいじめられる。
タコ坊と呼ばれる息子もいる。母や姉といっしょになっておやじをいびるが、おやじにそっくりな顔が、このタコ坊も将来「ダメおやじ」になることを示唆している。

もっとも過酷だと思ったのは、オニババが「ダメおやじ」の可愛がっていた金魚を煮て「ダメおやじ」の弁当に入れる場面だった。
この頃の古谷三敏は、凄まじいアイディアが次々と湧いてきたようだ。

哀しい場面もあった。
屋台のおでん屋で「ダメおやじ」は理想郷エルドラドの話を聞く。
自分もそこでは幸せに暮らせるような気になる。
「ダメおやじ」は、消費者金融(当時はサラリーマン金融)から金を借りて、エルドラドへと逃げようとする。
しかし幸運の女神は通り過ぎるのがはやかった……。


妖怪人間ベム 

「はやく人間になりたい」と叫ぶ、
まったく奇妙な三人組?


妖怪人間ベム vol.1

まったく、どういう漫画なのだろう。
世界観が絶望的に暗かった。
主役キャラは、ベム、ベラ、ベロの三匹の妖怪人間。
なんだか、いいかげんに付けたような名前だが、その響きは不思議にここちいい。
ベムは闇紳士風、ベラはかなりケバい女、そしてベムは少年。
三匹の関係は微妙で、家族というより仲間のような感じ。

ある日、アメーバのようなものが分裂して、妖怪とも人間といえないあやふやな3つの生き物がうまれた。ひとつの細胞が分裂したのだから、三匹はクローンのようなものかもしれない。

彼らが行く町には、妖怪が出没する。
妖怪たちは、なぜだか哀しみを身にまとっている。
心は、人間のほうが醜い。
しかし、彼ら妖怪人間は、容赦なく妖怪を退治する。
なぜなら<妖怪=悪>をやっつけると人間になれるから。彼らはそう信じている。

三匹の妖怪人間は、ふだんは人間風だが、闘いのときに獣のような体に変身する。
まず、好奇心旺盛なベロ少年が問題を起こすことが多い。
ベロも強いが、妖怪の方が強い場合はベラが、それでも苦戦する場合はベムが出てくるというパターンが多かったような気がする。
ベムは滅法強いので、出てくると、一気に勝負がつく。
妖怪を倒し続ける彼らは、なぜだか、「はやく人間になりたい」と叫ぶ。

彼らはどうみてもアウトサイダーだ。
経済の高度成長期で、みんながサラリーマン化していった時代。
体制側に入りたいという、暗喩かなにかだろうか?

2006年の4月から新バージョンのアニメがスタートするらしい。
どう進化するのかはわからないが、昔ながらの味は忘れないでほしいとこ。


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