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刑務所の中 


神は細部に宿る。
漫画家は細部を愛でるように描く。


刑務所の中

作者の花輪和一は「ガロ」出身で、江戸の無惨絵なども描く怪奇・猟奇あるいは耽美ものの作家だが、対象を追う筆そのものが恐ろしく執念深い。
偏執的なのである。

たとえば、その辺に散らかっているゴミはくだらない。普通は興味の対象とはならない。しかし、それをあえて顕微鏡でしつこく観察するとすれば、面白いものが見えてくるのかもしれない。

刑務所の中の日常を、微に入り細を穿って掘るように描き込み、ムショ生活における肌ざわりや、饐えたような匂いをも紙面から立ち上げようとしたのが「刑務所の中」であるといえる。こういう作品は小説にも体験記にも見当たらない。

なにしろ、おのれの排便の格好にまでこだわって、くどくどと描き連ねられるし、飯ともなれば、おかず一品一品の歯ごたえのようなものにまで言及しながら、いちいち歓喜したり、落ち込んだり、時に悩みぬいたりするのである。
読み込むうちに、やがて読者は作者とともにムショ生活をしてみたくなる。そんな怪しい魅惑が広がってくるのである。

作者は、モデルガンの改造等による銃刀法違反の罪で三年の懲役刑に処せられたということ。

「刑務所の中」 花輪和一 青林工藝舎


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「哭きの竜」能條純一 

「あんた背中が煤けてるぜ」
背中がすすけているとは、運のない寒い男のことか。


哭きの竜 1 (1)

麻雀で、やたらに哭(な)く奴は嫌われる。
こらえ性のない男と馬鹿にされる場合もある。
哭くことで、門前(めんぜん)より役が下がることが多いし、他人の自摸(つも)の流れも変えてしまうから、うるさい野郎と思われるのである。

哭くことは、手の内を晒すことでもある。
能條純一の「哭きの竜」は、静かに哭きまくりながら、異常な強運で勝ち続ける竜という男の話。
竜は、たとえば裸単騎(牌が一枚)になるまで哭く。
裸を晒した地獄待ちでも、哭くことで運を呼び込み、役満を自摸ったり当てたり(出和了)する。

そして、「あんた背中が煤けてるぜ」と、つぶやく。

竜の異常な強運は極道たちの精神を引きつけた。
博徒は、博打に限らず、すべてにおいて運まかせの人生を生きる。
極道の甲斐正三は竜の運を欲しがり、竜をつけ回す。
極道たちが最後に賭けるのは自分の命である。

竜は麻雀の場において、哭いて待つ。
そして竜の女は、たとえば雨の中、ひたすら竜を待つ。
哭くこと、すなわち自分の手の内を晒すことは、運との深い関わりがある。
どんなに哭きまくっても、ルール違反ではない。

「哭きの竜」能條純一
1985年- 竹書房「近代麻雀」に連載

代打屋トーゴー 

あんたは道具に頼りすぎだよ。
人間汗出して走らにゃ。


代打屋トーゴー(1)

第28話「ゴールド・バスター」で、攻撃ヘリまで持ち出してきた敵を倒したときに、トーゴーがはいたセリフ。

吉本大介はふたつの顔を持つ。
表の顔は東京の某区役所土木課に勤務する無能職員。
裏の顔は代打屋で、殺人と営利誘拐以外ならどんなことでも引き受けるパーフェクト・フォロー・ピンチ・オフィスの所長。
持ち込まれる依頼は、逃げたアナコンダや猫の捜索からボディガード、サルベージ、救出などさまざまだが、基本的には奇妙奇天烈な怪事件、あるいは馬鹿げたもの。

トーゴーは科学知識もあり、人間の心の機微にも通じているようだが、スキも多く、仕事の過程で頻繁にダメージを負う。
ただし、引き受けた仕事に対する粘着力、醜いまでのしぶとさ、突拍子もないアイディア、嘘のような運の強さで、最後は仕事を完遂する。
そして依頼人や敵に向かって格好をつけたセリフをはく。

第32話の「ハリマオ」が印象に残っている。
ハリマオは異国から来たメスの虎のような気を発散する美女で、男たちは彼女に近づくだけで性の放出が止まらなくなり自滅する。トーゴーはハリマオの体の謎を解明し、最後は彼女を導く。

裏の顔を持つ男の話は、大藪春彦の「蘇る金狼」など昔から結構ある。
男にとって憧れの生き方のひとつなのかもしれない。
これからの時代、サラリーマンも副業、いや本当の自分を出せる「精神の正業」とでもいうものを持っていたい。

「代打屋トーゴー」 たかもちげん
1983-1990年「コミックモーニング」連載
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