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「悪女聖書」 

母親は結婚式場で首を吊り、息の絶えた体から業子は生まれた。
誕生と同時に「深い業」を背負わされた悪女の話。


【古本】悪女聖書 1~8巻セット kn

世界史に残るほどの悪女はたくさんいる。
たとえば漢の高祖の妃である呂公は、気に入らない家来を目の前で処刑させることに悦びを感じるような女だったらしい。
高祖の死後は、側室の手足を切断し、眼を抉り、耳を削ぎ、厠に閉じこめたりしたという。
呂公の場合、悪女というよりも悪質なサディストのような気がする。

あるいは、フィレンツェのメディチ家からフランス王家に嫁いだカトリーヌ・ド・メディチ。
魔術師や錬金術師などを身近においたといわれるオカルティックな女で、黒ミサのような淫靡な儀式を行っていたらしい。人を鞭でいたぶり、毒殺や暗殺を好んだという。
カトリーヌ・ド・メディチの場合、悪女というより魔女のような感じがする。

「悪女聖書」の業子(なりこ)は、権力者の妻や娘ではない。
悲しみを纏って生まれてきた女である。
母親は結婚式場で首を吊り、息の絶えた体から業子は生まれた。
誕生と同時に深い業を背負わされているのである。

業子は家を追われ、女工をやりながら、生きるために悪女になることを決意する。
はじめはぎこちない。悪女に徹することのできない悲しみがある。
が、業子は知恵者でエネルギーに満ちた女である。
いつの間にか大企業のOLとなり、なぜか華道の家元夫人におさまったりする。
渡仏し、フランス貴族と恋に落ち、やがて男を不幸へと導く。
さらに料亭の仲居をやったり、看護婦をやったりと、変幻自在である。
ひたすらに、男と愛と金を求めて行動する。

小池真理子著「知的悪女のすすめ」(角川文庫)では、悪女が雪女に喩えられている。
「知的悪女は、男を抱いて凍らせてしまう雪女である」と。
男は恐れながらも、その冷たい神秘の魅力にひかれ、虜になってしまうのだという。

悪女とは一体なんなのかはよくわからないが、もしかすると、どこまでも自分を愛そうとする女のことかもしれない。
その強い愛が他者に向けられるとき、情はとてつもなく深いのである。

「悪女聖書」 作・池田悦子 画・牧美也子
全27巻 光文社コミックス
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日出処の天子 

飛鳥斑鳩の権力闘争に、奇妙な恋愛感覚が絡む物語。
異能力を使う妖しい雰囲気の聖徳太子がいい。

日出処の天子(第1巻)

「十七条の憲法」を制定し「神仏習合」によって和の政治を行った、すぐれた為政者としてのイメージが強い聖徳太子だが、ここでは古代の呪術を使う、神秘的な人物として描かれている。

飛鳥時代というのはよくわからないし、映画やドラマで描かれることも少なく、あまり馴染みがない。大王(おおきみ・天皇)家を始め、家督の継承は父子よりも兄弟間で行われることが多かったり、また近親婚もふつうで、夫婦は同居せず夫が妻の家に通う「妻問い婚」といった婚姻形式などもあって、遠い異国のような感じがする。「日出処の天子」(ひいづるところのてんし)では、そうした不思議な時代の雰囲気が味わえる。

厩戸王子(うまやどのおおじ・聖徳太子)と蘇我毛人(そがのえみし)、その妹の刀自古郎女(とじこのいらつめ)が中心となって物語は展開する。
厩戸王子は性を超えた存在で、蘇我毛人に強い愛情を抱き、精神感応で触れあおうとする。そこに、実の兄に恋心を抱く刀自古郎女が絡んできて、古代の妖しい世界は深まっていく。

タイトルの「日出処の天子」は、聖徳太子が隋の煬帝に宛てたとされる国書「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す、恙無きや 云々」からとられている。

「日出処の天子」山岸涼子 全7巻 白泉社文庫 
1980-1984年「LaLa」連載

赤色エレジー 

幸子の幸はどこにある?
林静一が、薄幸の女を描く昭和ロマン。


 淋しかったからくちづけしたの―林静一傑作画集 少女編淋しかったからくちづけしたの―林静一傑作画集           
        赤色エレジー 林静一

エレジーとは哀歌のこと。
伝説の「月刊漫画ガロ(青林堂)」に、1970より連載された林静一作品。
幸子と一郎の同棲生活を描いた、芸術の香りがする漫画。
ふたりはアニメの仕事をしている。アニメーターといえば、いまでも貧乏の代名詞だ。
好きでやってるんだから、夢があるんだからいいじゃないか。

「赤色エレジー」は、ある種の「画集」として読むのがいい思う。
ラーメンを啜りながら、急いで読んでもつまらない。
独特のコマ割による「心象風景」のイメージを、ゆっくり味わうのがいい。

昔、「哀愁のヨーロッパ」を奏でたカルロス・サンタナは「泣きのギター」といわれたが、林静一は「泣きの絵画」とでも呼びたい。女の泣く表情が、せつなくて、せつなくてたまらない。

あがた森魚は、「赤色エレジー」の雰囲気をそのままに、同名の歌を書いた。
「昭和余年は春も宵……」
こういうイメージが膨らむ漫画は、林静一だからこそ描けるもの。
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