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猫楠 

猫族の目を通して観察する、
明治の奇人、あるいは妖怪の正体。




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作者の水木しげるは妖怪を好むあまり、現生人類の中からも「生身の妖怪」を見つけ出し、その不思議な姿を描こうとしたのかもしれない。
妖怪の定義はよくわからないが、まずは自分の好きなことしかしない、食うために働かないということであって、つまりは人間ではなく、猫族のほうに近いというのである。

南方熊楠は慶応三年に熊野に生まれた実在の人物で、幼い頃より異常な学力を示し、青年期には東京大学予備門に入学。漱石、子規らと同窓となるが、明治国家のエリートたる道を捨て、生涯を好きな粘菌の研究と極貧の生活に捧げるのである。

妖怪であるからには特技がある。
熊楠は牛のように、一度咀嚼し、胃の腑に落とした食い物を自在に口中にもどし、再び食うことができたという。粘菌を追い求め、山中を彷徨うときなどは、大量に食いだめし、この特技を活かして何日も生存できたらしい。
また、極貧であるから着る物もなく、ほとんど裸で暮らしたともいわれる。こうした無頓着さと生命力もひとつの特技といえるのかもしれない。
十八ヵ国語を話せたらしいということも、妖怪の証拠ともいえる。

熊楠は大学予備門を中退し、まずは米国に向かう。
ミシガン州立農業大学に入るが、ほどなく退学し、サーカス団に混じって全米を放浪する。粘菌、博物学の研究のためである。
その後、ロンドンに渡り、馬小屋を住処としながらも、権威ある英国の科学雑誌「ネイチャー」に論文を寄稿。大英博物館の嘱託研究員の職を得るが、あまりの薄給のため、乞食同然の暮らしだったという。
帰国後は紀州に棲み、粘菌学、民俗学などの研究を深め、仙人のような生活をした。

粘菌とは、植物とも動物とも定かではない不思議な存在らしい。
昭和四年、天皇の紀州行幸の際、招かれて粘菌について進講したが、金がないせいか、標本がミルクキャラメルの箱に収められていたため、昭和天皇が微笑まれたというエピソードがいまに残っている。

人間なのになぜ働かないのだろう?
熊楠は、めしのために働くという人間の大原則を破る男だった。
猫族にただならぬ興味をもたれた熊楠こそ、真の妖怪といえるのかもしれない。


「猫楠 南方熊楠の生涯」 水木しげる
1991-1992年 講談社「ミスターマガジン」連載
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オモライくん 

ゴミを漁り、下水道で水泳を楽しむ根性があれば、
どんな世の中になっても生きていける。


オモライくん (1)

19世紀の文豪ディケンズは、ゴミと富が表裏一体のものであることを看破していた。
「互いの友」という小説が面白い。
ゴミ収集で財をなした大富豪の遺産をめぐって、人間の欲望が絡み合うストーリー。
テムズ河に漂流する死体から金品を抜いて家族を養う男の話も印象的だった。

資本主義の欲望が通り過ぎたあとには、大量のゴミが出る。
それらは、考え方によってはゴミではなく富となる。

オモライくん、おこもちゃん、コジじいの三人は基本的にゴミを生活の糧としている。
ゴミは無限に吐き出されるので、三人の富も無限といえる。
ただし、そこには「清潔」という市民的な概念はない。
異様な「不潔さ」の細密描写が、これでもかといった具合に繰り返される。
おそらく人間は、かなりの「不潔」に耐えられるのだろう。
下水道を泳いでも、たぶん死にはしないだろう。
不潔を楽しむと言えば変態じみているが、不潔など気にしないという根性が、ゴミを無限の富に変えるのかもしれない。

「オモライくん」 永井豪 1972年-

「迷走王ボーダー」 

クソッたれたイメージ社会に適応した人間たちを
「あちら側」と呼ぶ、
無為で過激なボーダー(境界線上)の生き方。


ボーダー 全14巻 狩撫麻礼&たなか亜希夫/作

この漫画は僕のバイブルのようなものだった。
こんなものをバイブルにした人間の人生は、ろくなものではない(憫笑)。
ボーダーな生き方は、漫画の世界でのみ愉しむのがいいのかもしれない。

蜂須賀と久保田は、旅の途中、中近東あたりで出会った。
蜂須賀は東京に帰ると久保田の住む「月光荘」を訪ねた。
しばらくして居候は申し訳ないと、「月光荘」の元共同便所だった便器のある部屋に棲むようになる。家賃は月3千円。

蜂須賀と久保田、東大志望の浪人生木村(のちに東大農学部)の三人は、ともに「月光荘」で飯を炊き、味噌汁をすする生活者となる。

「無為こそが過激。なにもしないでブラブラしているのがホントは一番チカラ技なのさ」

蜂須賀がクソッたれたイメージ社会と呼ぶ、「あちら側」への一方的な敵意が軋轢を生み、大騒動を起こす。
泉鏡花の「高野聖」を想わせる山中の彷徨をしたかと思えば、地下のセメントプロレスでおのれの修羅を賭ける蜂須賀。
下町の銭湯、赤ちょうちん、無頼派文学、ボブ・マーレイ、ブルーハーツへの賛歌。
「ボーダー」の世界は、過激さ、妖しさ、温かさ、懐かしさに満ちている。

「木村、金貸せ。久保田、靴貸せ」
「おまえは評論家か?評論家は男のオバサンだぞ」
「この悲しみが狂気に変わらないうちに俺は旅に出る」
「魂は伝達可能だ、それだけは信じている」
「極貧と無限大は等しいってことさ、どちらも消費からスポイルされる」
「この人間交差点野郎が!」
「コンビニの余りモノだ、涙ぐむほどのもんかよ」
「俺は二人同時に求愛したんだ。そして俺は世間から気違い扱いされた」
「夢とロマンを探す思いに駆られて、男は一生フラフラ迷走しなきゃならねえんだ」

蜂須賀による、過激な居直りのような言葉が響く。

「迷走王 ボーダー」狩撫麻礼/たなか亜希夫作 双葉社 全14巻
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