バンパイヤ
苦しみながら悩みながら戸惑いながら、
抑圧された「野性」を解放する一族。

人間の脳というのは、本能を司る部分(爬虫類などと同じ脳)の上に、知性の新皮質が積み上げられた構造になっているという。つまりは野獣の脳もあわせもっているのである。
人間はいつも、凶暴な野性を解放したがっているのかもしれない。
手塚治虫の「バンパイヤ」はいわゆる吸血鬼ではない。
どちらかというとライカンスロープ(人狼)のたいぐいではないかと思う。
バンパイヤ一族は人狼だけではない。多種多様で、それぞれ大蛇、犬、猫、馬などに変身する。
一族は虐げられ、ひっそりと暮らしていたが、ある夜、秋吉台の鍾乳洞に集い、バンパイヤ革命を起こすための決起集会を開く。
バンパイヤ革命とは一族による社会への復讐か、あるいは人類の本能の解放か。
トッペイは月を見ると狼に変身するバンパイヤ一族の少年だった。
一族の掟を嫌い、新しい生き方を志して東京に行く。
東京でロックこと間久部録郎(まくべろくろう-シェイクスピアの「マクベス」のもじり)と出会う。
ロックはとんでもない男だった。
過去、クラス全員の机に小便をかけて学校を逐電していた。
ロックはバンパイヤ一族の力を利用し、自らの大いなる野望を実現すべく動き出す。
女バンパイヤの岩根山ルリコは、玉葱の匂いを嗅ぐとメスの狼に変身する。
苦しみながら狼化していく姿がセクシーだった。
「バンパイヤ」手塚治虫
1966-1967年「週刊少年サンデー」連載
抑圧された「野性」を解放する一族。
人間の脳というのは、本能を司る部分(爬虫類などと同じ脳)の上に、知性の新皮質が積み上げられた構造になっているという。つまりは野獣の脳もあわせもっているのである。
人間はいつも、凶暴な野性を解放したがっているのかもしれない。
手塚治虫の「バンパイヤ」はいわゆる吸血鬼ではない。
どちらかというとライカンスロープ(人狼)のたいぐいではないかと思う。
バンパイヤ一族は人狼だけではない。多種多様で、それぞれ大蛇、犬、猫、馬などに変身する。
一族は虐げられ、ひっそりと暮らしていたが、ある夜、秋吉台の鍾乳洞に集い、バンパイヤ革命を起こすための決起集会を開く。
バンパイヤ革命とは一族による社会への復讐か、あるいは人類の本能の解放か。
トッペイは月を見ると狼に変身するバンパイヤ一族の少年だった。
一族の掟を嫌い、新しい生き方を志して東京に行く。
東京でロックこと間久部録郎(まくべろくろう-シェイクスピアの「マクベス」のもじり)と出会う。
ロックはとんでもない男だった。
過去、クラス全員の机に小便をかけて学校を逐電していた。
ロックはバンパイヤ一族の力を利用し、自らの大いなる野望を実現すべく動き出す。
女バンパイヤの岩根山ルリコは、玉葱の匂いを嗅ぐとメスの狼に変身する。
苦しみながら狼化していく姿がセクシーだった。
「バンパイヤ」手塚治虫
1966-1967年「週刊少年サンデー」連載
ブッダ
お釈迦様の生きた時代を「なま」で感じながら、
お釈迦様の生涯のだいたいのところを知る。

手塚治虫の「ブッダ」は、たとえば入院中などに読むといいかもしれない。
就職や転職先が決まって入社まで暇なとき、あるいは受験から解放されたときなどもいいかもしれない。
要は、人生のエアポケットのような時間に一気に読んでしまうのがいいと思う。
物語は、自分を食べてくれと言って、火の中に飛び込む兎の話から始まる。
いきなりガツンとやられたような感じで、生きるとは何かということを強く問いかけてくる。
シャカ族の住むカピラヴァストウの王子として生まれたゴータマ・シッダルタは「生・老・病・死」の苦悩からの解脱をめざして30歳で出家する。シッダルタのカースト上の身分は最上位のバラモンではなくクシャトリア(王侯・武士)だろう。だから正規の僧・婆羅門ではなく紗門ということになるのかもしれない。
シッダルタも最初は他の僧と同じように苦行をし、身体をいじめ抜く。
骨と皮になって死にかけたシッダルタに乳粥を与えるスジャータがやたらに陽気で可愛らしい。地獄から甦ったシッダルタは沐浴し「菩提樹」の下で瞑想に入り、やがて悟りをひらく。
ブッダとなり後光が差す。
「初転法輪」を行ったといわれる鹿野苑や、竹林精舎、祇園精舎の雰囲気がいい。ほとんど野宿のような暮らしの中で、弟子たちに教えを説く。
「沙羅双樹」の下、80歳で入滅するときには、たくさんの動物たちがブッダの周囲に集まってくる。ここは泣ける。
手塚独自のさまざまな解釈はいいとしても、 悟りとは何かという究極の問題をもっと深められなかったのかとも思う。解脱しブッダとなったシッダルタは、まだ人間臭いし悩みがありそうである。しかし「なま」のブッダとは案外こういう感じだったのかもしれない。
日本人ならたいていの人が、小さい頃から仏壇の前で手を合わせ、線香の匂いを嗅がされて育ってきている。その源流がなんなのか、お釈迦様とはどういう人だったのか、だいたいのところを知っておくのにいい。
手塚治虫全集「ブッダ」全14巻
「希望の友(コミックトム)」1972-1983年連載
お釈迦様の生涯のだいたいのところを知る。
手塚治虫の「ブッダ」は、たとえば入院中などに読むといいかもしれない。
就職や転職先が決まって入社まで暇なとき、あるいは受験から解放されたときなどもいいかもしれない。
要は、人生のエアポケットのような時間に一気に読んでしまうのがいいと思う。
物語は、自分を食べてくれと言って、火の中に飛び込む兎の話から始まる。
いきなりガツンとやられたような感じで、生きるとは何かということを強く問いかけてくる。
シャカ族の住むカピラヴァストウの王子として生まれたゴータマ・シッダルタは「生・老・病・死」の苦悩からの解脱をめざして30歳で出家する。シッダルタのカースト上の身分は最上位のバラモンではなくクシャトリア(王侯・武士)だろう。だから正規の僧・婆羅門ではなく紗門ということになるのかもしれない。
シッダルタも最初は他の僧と同じように苦行をし、身体をいじめ抜く。
骨と皮になって死にかけたシッダルタに乳粥を与えるスジャータがやたらに陽気で可愛らしい。地獄から甦ったシッダルタは沐浴し「菩提樹」の下で瞑想に入り、やがて悟りをひらく。
ブッダとなり後光が差す。
「初転法輪」を行ったといわれる鹿野苑や、竹林精舎、祇園精舎の雰囲気がいい。ほとんど野宿のような暮らしの中で、弟子たちに教えを説く。
「沙羅双樹」の下、80歳で入滅するときには、たくさんの動物たちがブッダの周囲に集まってくる。ここは泣ける。
手塚独自のさまざまな解釈はいいとしても、 悟りとは何かという究極の問題をもっと深められなかったのかとも思う。解脱しブッダとなったシッダルタは、まだ人間臭いし悩みがありそうである。しかし「なま」のブッダとは案外こういう感じだったのかもしれない。
日本人ならたいていの人が、小さい頃から仏壇の前で手を合わせ、線香の匂いを嗅がされて育ってきている。その源流がなんなのか、お釈迦様とはどういう人だったのか、だいたいのところを知っておくのにいい。
手塚治虫全集「ブッダ」全14巻
「希望の友(コミックトム)」1972-1983年連載
あしたのジョー
「あしたのために」という手紙から始まる青春。
闘うことでしか表現できなかった恋。

「あしたのジョー」とは、ある種の強烈な恋愛ドラマだったのではないかと勝手に解釈している。
矢吹丈とブルジョアのお嬢様である白木葉子の住む世界は違っていた。
ボクシングを媒介にすることでしか接点が生まれない。甘い会話もない。いつも喧嘩腰である。ふつうの恋愛など成立しない。
ボクシングから離れた時点で、ふたりはまた別の世界の人間になる。
白木葉子は丈を援助し、闘いへとけしかける。そういう愛し方しかできなかった。
白木葉子の恋は暴力的だった。女の暴力だ。
モチベーションの下がった丈を許さなかった。
許してしまえば、接点がなくなるからだ。
丈は、いわば奴隷だった。しかし丈にも意地がある。
おのれの性と生のすべてを絞り出し、命を削りながら闘った。
自分を虐め、闘うことでしか表現できなかった。
そして最後は葉子に「矢吹くんが好き」といわせた。
しかしそこからふつうの恋が始まることなどありえない。
成就した瞬間に終わる恋だった。
丈はホセ・メンドーサとの死闘で真っ白になる。そこでこの物語は終わる。
丈は死んだのか?生きているのか?
そんなことはどうでもいい。
白くなるまで闘うことが、丈の意地であり最大の愛し方だったと思う。
白木葉子が登場するまで丈のモチベーションはいまいち低い。
ライバル力石徹も、丹下段平のおっちゃんもいい味を出しているが、丈をして獣の世界へと導く「動機」としては少し弱い。雄を獣にするのは、やはり雌、それも手の届きそうもない女神のような雌ではないだろうか。
「憎いあんちくしょう」とは、力石でもカーロスでもホセでもなく、白木葉子のことだったのかもしれない。
「あしたのジョー」作・高森朝雄 画・ちばてつや
講談社・週刊少年マガジン1968年〜1973年連載
TVアニメ 1970年〜1971年 フジテレビ系
闘うことでしか表現できなかった恋。
「あしたのジョー」とは、ある種の強烈な恋愛ドラマだったのではないかと勝手に解釈している。
矢吹丈とブルジョアのお嬢様である白木葉子の住む世界は違っていた。
ボクシングを媒介にすることでしか接点が生まれない。甘い会話もない。いつも喧嘩腰である。ふつうの恋愛など成立しない。
ボクシングから離れた時点で、ふたりはまた別の世界の人間になる。
白木葉子は丈を援助し、闘いへとけしかける。そういう愛し方しかできなかった。
白木葉子の恋は暴力的だった。女の暴力だ。
モチベーションの下がった丈を許さなかった。
許してしまえば、接点がなくなるからだ。
丈は、いわば奴隷だった。しかし丈にも意地がある。
おのれの性と生のすべてを絞り出し、命を削りながら闘った。
自分を虐め、闘うことでしか表現できなかった。
そして最後は葉子に「矢吹くんが好き」といわせた。
しかしそこからふつうの恋が始まることなどありえない。
成就した瞬間に終わる恋だった。
丈はホセ・メンドーサとの死闘で真っ白になる。そこでこの物語は終わる。
丈は死んだのか?生きているのか?
そんなことはどうでもいい。
白くなるまで闘うことが、丈の意地であり最大の愛し方だったと思う。
白木葉子が登場するまで丈のモチベーションはいまいち低い。
ライバル力石徹も、丹下段平のおっちゃんもいい味を出しているが、丈をして獣の世界へと導く「動機」としては少し弱い。雄を獣にするのは、やはり雌、それも手の届きそうもない女神のような雌ではないだろうか。
「憎いあんちくしょう」とは、力石でもカーロスでもホセでもなく、白木葉子のことだったのかもしれない。
「あしたのジョー」作・高森朝雄 画・ちばてつや
講談社・週刊少年マガジン1968年〜1973年連載
TVアニメ 1970年〜1971年 フジテレビ系
- [2006/05/11 07:10]
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