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巨人の星 

男がいったん言わんと決めたら、
口が裂けても言わん。





業田良家の「自虐の詩」が映画化され、例のちゃぶ台をひっくり返すシーンに注目が集まっているが、気に入らないことがあるとすぐにちゃぶ台をぶちまける男の元祖は、やはり星飛雄馬の父一徹だろう。

「男がいったん言わんと決めたら、口が裂けても言わん」

一徹は劇画「巨人の星」作中で数々の名せりふを吐いた。
そのなかで僕がもっとも気に入ったのがこれである。
この哲学的せりふには何の論理性もない。
状況が変われば、ふつうは何事かをしゃべってもいいはずである。
そのほうが周囲のためにもなるし、人間関係がうまくいく場合だってある。

だが、理屈無き頑固さこそ、一徹オヤジの骨子である。
武士に二言はない、ということだろうが、果たして一徹は武士なのかという問題もある。
一徹は日雇いの労働者であり、どこにも仕官していない。
家族に貧乏を強いなければなければならない。威張っている場合でもないのである。
なるほど物語が進むなかで、中日ドラゴンズのコーチに就任したりするが、人生の大半を肉体労働者として過ごす。武士であるなら浪人者というところだろう。

しかし、一徹は息子飛雄馬に「野球人としての血」を命懸けで伝えようとする。
子孫を残し、血統を繋ぐことこそ武士の本懐であるならば、一徹は紛れもない武士なのである。
貧乏だが、オヤジは強く、ストイックで、どこか温かいのである。

あなたは息子に何かを与えたか?
あなたはオヤジから何かを与えられたか?
この漫画はそう問うているような気もする。


「巨人の星」 梶原一騎原作 川崎のぼる画
1966年-1971年 講談社「週刊少年マガジン」連載
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「少女椿」丸尾末広 


哀しく、妖しく、淫靡な世界。
人間は本質的に変態なのだろうか?



少女椿


L・ボルクによると、人類とは猿が胎児のまま大人になった、生物進化上における、ある種の奇形であるらしい。
心理学者の岸田秀は、ボルクの「胎児化説」をもとに、「人間とは本能が壊れた動物であり、その代用として自我をもった」という説に達している。

で、その自我というものは屈辱体験から生まれるものらしい。
他の動物と違い、すべての人間は「早産」で生まれてくる。
親に守ってもらわなければ生きてはいけない。
そして親の庇護下にあるうちは、他者を知らず、全知全能である。
従ってそのころに、自然の中で生きるための本能を喪失する。
赤ちゃんはみんな我が儘なのである。

しかし成長するにつれ、他者と関わることで思い通りにならない自分を発見する。
同時にみじめで屈辱的な自我が形成される。
この屈辱からの逃走、もしくは闘争。すなわち劣等な自我克服のための闘いこそが人間の一生であるというのが、岸田説の概要であると思う(岸田秀著「ものぐさ精神分析」等)。

意味もなく他者を虐めたり、フリークスの姿をみてなにがしかの快感を覚えたり、異性を変態的に支配したがったりするのも、屈辱克服のための闘争、もしくは逃走の一部分といえるのかもしれない。

笠原みどりの父親は、借金の取り立てから逃れるために蒸発した。
みどりは花売り娘として銀座に立つ。人に騙され見世物小屋に連れて行かれる。
侏儒、魔術師、蜘蛛女、包帯男……。
見世物小屋は、人間の欲と精神の悪臭が漂う、得体の知れない大人たちの世界だった。
みどりは可愛がっていた犬を煮られ、折檻され、忍耐と服従を強いられる。
そして、まだ幼い性すらも無理矢理にこじ開けられる。
鬼畜じみた世界のなかで、強く健気に生きていく水玉ワンピースの少女が哀しく、せつない。

昭和の妖しいレトロ臭に満ちたサイケデリックな色彩に惹かれ、自分の精神の内奥にある得体のしれないものを見せられるかもしれない。

「少女椿」丸尾末広/青林工藝社

鉄人28号 

旧日本軍が一発逆転を狙って開発した秘密兵器。
鉄人28号は、大和魂の塊だった。




鉄人28号が生まれたのは1956年。
「鉄」は巨大な基幹産業であり、敗戦国日本の復興の象徴だった。
鉄人が吠える「ビルの街」「夜のハイウエイ」こそ、整いつつあったインフラと、経済成長の証だった。

主人公の金田正太郎は少年探偵で、鉄人を動かす「リモコン」を手に入れる。
「敵に渡すな大事なリモコン」
と主題歌にもあるように、鉄人は「リモコン」を手にした者によって操られる。
鉄人そのものには、正義感も国家への忠誠心もない。
あるのは巨大な鉄の塊としてのタフさと、とてつもないパワー。
鉄人とは、科学技術や巨大産業のメタファーのようなもので、使う人によって悪にも善にもなる恐ろしい力だということかもしれない。

2005年にはニューバージョンのアニメが放映された。
全体にセピア調の、物哀しいトーンに彩られた感じがよかった。
鉄人の顔つきも精悍さが増し、とくに目の力が強くなっていたような気がする。
背景には工場群の煙突がみえ、昭和30年代の雰囲気が出ていた。

「鉄人28号」 横山光輝
1956年~ 光文社「月刊少年」連載 
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