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刑務所の中 


神は細部に宿る。
漫画家は細部を愛でるように描く。


刑務所の中

作者の花輪和一は「ガロ」出身で、江戸の無惨絵なども描く怪奇・猟奇あるいは耽美ものの作家だが、対象を追う筆そのものが恐ろしく執念深い。
偏執的なのである。

たとえば、その辺に散らかっているゴミはくだらない。普通は興味の対象とはならない。しかし、それをあえて顕微鏡でしつこく観察するとすれば、面白いものが見えてくるのかもしれない。

刑務所の中の日常を、微に入り細を穿って掘るように描き込み、ムショ生活における肌ざわりや、饐えたような匂いをも紙面から立ち上げようとしたのが「刑務所の中」であるといえる。こういう作品は小説にも体験記にも見当たらない。

なにしろ、おのれの排便の格好にまでこだわって、くどくどと描き連ねられるし、飯ともなれば、おかず一品一品の歯ごたえのようなものにまで言及しながら、いちいち歓喜したり、落ち込んだり、時に悩みぬいたりするのである。
読み込むうちに、やがて読者は作者とともにムショ生活をしてみたくなる。そんな怪しい魅惑が広がってくるのである。

作者は、モデルガンの改造等による銃刀法違反の罪で三年の懲役刑に処せられたということ。

「刑務所の中」 花輪和一 青林工藝舎


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猫楠 

猫族の目を通して観察する、
明治の奇人、あるいは妖怪の正体。




kuma.jpg




作者の水木しげるは妖怪を好むあまり、現生人類の中からも「生身の妖怪」を見つけ出し、その不思議な姿を描こうとしたのかもしれない。
妖怪の定義はよくわからないが、まずは自分の好きなことしかしない、食うために働かないということであって、つまりは人間ではなく、猫族のほうに近いというのである。

南方熊楠は慶応三年に熊野に生まれた実在の人物で、幼い頃より異常な学力を示し、青年期には東京大学予備門に入学。漱石、子規らと同窓となるが、明治国家のエリートたる道を捨て、生涯を好きな粘菌の研究と極貧の生活に捧げるのである。

妖怪であるからには特技がある。
熊楠は牛のように、一度咀嚼し、胃の腑に落とした食い物を自在に口中にもどし、再び食うことができたという。粘菌を追い求め、山中を彷徨うときなどは、大量に食いだめし、この特技を活かして何日も生存できたらしい。
また、極貧であるから着る物もなく、ほとんど裸で暮らしたともいわれる。こうした無頓着さと生命力もひとつの特技といえるのかもしれない。
十八ヵ国語を話せたらしいということも、妖怪の証拠ともいえる。

熊楠は大学予備門を中退し、まずは米国に向かう。
ミシガン州立農業大学に入るが、ほどなく退学し、サーカス団に混じって全米を放浪する。粘菌、博物学の研究のためである。
その後、ロンドンに渡り、馬小屋を住処としながらも、権威ある英国の科学雑誌「ネイチャー」に論文を寄稿。大英博物館の嘱託研究員の職を得るが、あまりの薄給のため、乞食同然の暮らしだったという。
帰国後は紀州に棲み、粘菌学、民俗学などの研究を深め、仙人のような生活をした。

粘菌とは、植物とも動物とも定かではない不思議な存在らしい。
昭和四年、天皇の紀州行幸の際、招かれて粘菌について進講したが、金がないせいか、標本がミルクキャラメルの箱に収められていたため、昭和天皇が微笑まれたというエピソードがいまに残っている。

人間なのになぜ働かないのだろう?
熊楠は、めしのために働くという人間の大原則を破る男だった。
猫族にただならぬ興味をもたれた熊楠こそ、真の妖怪といえるのかもしれない。


「猫楠 南方熊楠の生涯」 水木しげる
1991-1992年 講談社「ミスターマガジン」連載

人魚の森 

食われながらも絡みあい、
交合を重ねあう哀しいエロティシズム。


人魚の森 (るーみっくわーるどスペシャル)


ハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」は、恋する薄幸の美女といった印象だが、ヨーロッパの人魚伝説は日本にもたらされたのち、そこに和の伝説や風味が付加され、イメージがほどよく醸成されて全くのべつものに生まれ変わったり、あるいは作家個々の解釈や、ある種のひねりが加わって奇妙な物語となったりしている。

たとえば阿部公房の「人魚伝」。
それは緑色の美形の生き物だが、難破船のなかで人を食っていたというのである。しかも人魚を連れ帰った主人公は、おのれの肉を食われながら再生を繰り返すという奇想の話である。
人肉を食う人魚の口臭まで伝わってきそうな生々しさがある。

高橋留美子の「人魚の森」も不気味であり、また哀しい物語となっている。
第一話が「人魚は笑わない」であるが、人魚の境涯はとても笑えるようなものではない。

人魚の肉を食った人間は、うまく行けば不老不死となるらしい。
だが、多くは死ぬか「なりそこない」といわれる哀れな生き物になるという。
そして人魚はさらに、人魚の肉を食って不老不死となった人間を食うらしい。
人魚はそうして若返るという。

人間と人間が、あるいは人間と人魚が。
時に食い、時に食われ、屠りあいつつ絡みあい、怪しい交合を重ねあうかのような奇妙なエロティシズムが漂っているのである。



「人魚の森」 高橋留美子
1984年- 小学館「増刊少年サンデー」連載
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